2009年05月27日

5月26日 WBC世界フライ級タイトルマッチ

5月26日

WBC世界フライ級タイトルマッチ
内藤大助 12回判定(3−0) 熊朝忠(中国)


1日遅れの感想です。
管理人の採点は、113−112で内藤選手の勝利。
オフィシャルの採点よりは差が小さくなりました。
試合内容としては、内藤選手が「とにかく勝った」という一点のみに尽きるでしょう。
序盤は、内藤選手が精力的に自分から仕掛ける快調な滑り出しでしたが、4回終了の公開採点でリードを伝えられると、5回以降はバックステップを踏み続けて早くも逃げ切り体制のボクシングになってしまいました。
距離を取って油断したのか、6回には踏み込みの良い熊選手の右オーバーハンドを避け損なってダウン。
大ピンチに陥りましたが、足はしっかり動いていましたので、徹底的なバックステップとなりふり構わぬクリンチでどうにか凌ぎきりました。
必死に迫る熊選手と、ヒット&アウェイの内藤選手。
お互いスタミナを使い果たして試合終了ゴングが鳴りました。
より大きなダメージを与えたのは熊選手でしたが、ボクシングはダメージの寡多で勝敗が決まるスポーツではなく、老獪に戦った内藤選手が僅差で判定をモノにしました。
管理人は、いわゆるマラソンボクシングはあまり好きではありませんが、内藤選手のどんな形でも勝ちたいという執念にはいつもながら頭が下がります。
打たれながら前に出て、惜しくも善戦で終わってしまう日本人選手があまりにも多いので、内藤選手のような老獪な選手はむしろ新鮮に映りますね。
負けない王者として、このまま長期政権を築いてもらいたいところです。

熊選手は、体格には恵まれていませんが、踏み込みが良くてロングパンチに威力のある好ファイターですね。
防御勘も良いですし、打たれ強さも備えています。
課題としては、接近戦で意外と手が出ない感じでしたし、安易にクリンチを許してしまうところがありました。
ボディも少ないですね。
手数と上下の打ち分け、クリンチを振りほどいて打つ老獪さがあればさらに怖い選手になるでしょう。
posted by ティト at 23:14| 岩手 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

畑中清詞

畑中清詞(松田ジム)
ニックネーム:尾張のロッキー
愛知県西春日井郡西春町出身
生年月日:昭和42.3.7
戦績:22勝15KO2敗1分


日本では何事も東京中心とよく言われるが、ボクシングもご多分に漏れずで、名古屋ほどの大都市でも世界王者は長らく誕生せず。
名古屋から待ちに待った世界王者が誕生したのは、平成に入ってからのこと。
それが畑中清詞である。

畑中は、少年時代に空手の大会に優勝するなど、抜群の運動神経の持ち主だったとのこと。くつ
元々興味のあったボクシングは中学時代に始め、生来の格闘センスを発揮してメキメキと頭角を現す。
亨栄高時代に国体やインターハイに出場し、アマチュアとして名の知られる存在になるが、本人はプロ志向が非常に強く、なんと高校在学中の昭和59年11月に松田ジムからプロデビュー。
高校生ボクサーとして注目を集める。演劇
デビュー後5連続KOと小気味のいい攻撃ボクシングで人気も上々。
昭和61年3月には、達城広光に1回KO勝利で全日本J・バンタム級新人王を獲得。
バンタム級では、長らくライバル関係となる高橋ナオトが、畑中とともに18歳で新人王に輝いた。
高橋と出世競争をするかのごとく破竹の勢いで勝ち進む畑中は、昭和62年2月、早くも日本J・バンタム級王座に挑戦。
実力者の丸尾忠を3回KOに下し、10代の日本王者誕生となる。手(チョキ)
ほぼ同時期に日本王者に並び立った畑中と高橋は、驚異の10代と称され、常に比較されながら日本ボクシング界のスターダムを駆け上がっていく。
畑中は、日本王座を1度防衛後に返上。
世界挑戦のウエイティングサークルに入るが、チャンスは早々に訪れる。
昭和63年9月、WBC世界J・バンタム級王者ヒルベルト・ローマン(メキシコ)への挑戦が決定。
ローマンは、渡辺二郎から王座を奪った曲者王者であるものの、年齢的に下り坂と考えられていたため、勢いのある畑中の勝ち目も十分との前評判であった。
しかし、百戦錬磨のローマンはやはり容易な相手ではなかった。
入れ込むあまり前がかりになる畑中を余裕を持っていなし、細かいパンチをコツコツ当ててペースを握ると、クリンチや時にはローブローも交えながら畑中の攻撃を分断する老獪さを発揮。
一旦攻撃を寸断されるとリズムがまるで狂ってしまう欠点を露呈した畑中は、毎回のようにポイントを失い、屈辱を感じながら12ラウンド終了のゴングを聞く。
結果は大差判定でローマンの勝利。
大きな挫折を味わい、大いにへこんだ畑中だったが、生来の負けじ魂に火がつき、ほどなく階級を上げてのカムバックを決意。
天狗の鼻を折られたことを自覚し、自ら望んでハードなカムバック路線を歩むことになる。
平成元年1月には、カムバック初戦でいきなりアジア屈指の強豪である李東春(韓)と対戦。
苦しみながらも10回判定勝利で見事復帰戦を飾る。
ちなみに李は、のちにグレート金山のリングネームで日本王者として長らく君臨することになる名選手である。
同年9月には、これまた韓国の強豪、呉張均と対戦し、10回引き分け。
世界レベルの強豪との対戦で、畑中には着実に筋金が入っていく。
その後順調に勝ち進んだ畑中に、世界挑戦のチャンスが再び訪れる。
平成3年2月、WBC世界J・フェザー級王者ペドロ・デシマ(亜)への挑戦が決定。
ハードパンチが売り物の王者を相手に予想は不利とされたが、打ち合い望むところの畑中は気合十分でリングに上がる。ダッシュ(走り出すさま)
開始早々から真っ向勝負で挑んだ畑中だったが、初回に王者のワンツーをまともにヒットされてダウン。
王者の猛攻で大ピンチに陥ったものの、なんとか追撃をしのいだ畑中は、4回に反転攻勢に出る。
スタミナ切れで、やや動きが緩慢になった王者を左フック、右ストレートでダウン。
さらに立て続けに3度のダウンを追加すると、畑中は勝ったと思ったのか、リング上ででんぐり返し。射手座
しかしフリーノックダウン制のWBCなので、そこでは試合は終わらず。
一息ついてしまったが、試合の趨勢はもはや変わらなかった。
8回に通産6度目のダウンを奪うと、レフェリーはついに試合をストップ。
畑中は、世界の頂点を極めた喜びを全身で表したものだった。ぴかぴか(新しい)
イキの良い王者誕生に周囲の期待も大いに高まったが、初防衛戦で落とし穴が待っていた。
元王者ではあったが、年齢的に比較的イージーな挑戦者と思われたベテランのダニエル・サラゴサ(メキシコ)を相手に、一進一退の乱打戦を展開。
憎らしいほどクリンチワークが巧みで手数の多いサラゴサは、イージーな相手では決してなく、豊富なキャリアを持つ老獪な強敵だった。
選択試合ながら結果的に厳しいマッチメークとなってしまった。
それでも畑中は持ち味の積極性を発揮し、サラゴサをロープにつめてひたすら打ちまくる。
見応えのある打ち合いはKO決着には至らず、試合終了のゴングが鳴る。
管理人的に若干畑中優位の印象だったが、判定は2−1でサラゴサを支持。
陣営はこの判定結果に納得せず、WBCへ提訴。
サラゴサとの再戦を熱望していたが、畑中は先の激戦で眼疾を患ってしまったとのこと。
未練を残しながらも、カムバックすることなくやむなく引退することと相成った。

ストイックさが好感されるボクシング界において、畑中はあえて豪快で奔放なキャラクターを売り物にした。音楽
ライバルの高橋ナオトは、畑中とは逆にストイックさをファンに支持され、当時の人気面では畑中を上回っていたと思う。
遊び好きを広言し、オールドファンの反感を買うこともあった畑中だが、ボクシングに手抜きが一切なかったことは周囲の人間ならば誰でもわかっていたこと。
才能におごることなく、進化を続けて世界王者に登りつめた努力の人である。位置情報
現在は、畑中ジム会長にして中日本ボクシング協会会長。
将来を嘱望される指導者だ。
posted by ティト at 01:07| 岩手 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

オルズベック・ナザロフ

オルズベック・ナザロフ(協栄ジム)
WBA世界ライト級チャンピオン
生年月日:昭和41.8.30
ニックネーム:グッシー
戦績:26勝19KO1敗


協栄ジムから勇利に続いて世界のベルトをつかんだ旧ソ連出身のボクサーで、日本ではガッツ石松以来2人目の世界ライト級王者である。手(チョキ)
勇利・アルバチャコフ、スラフ・ヤノフスキーらいわゆるペレストロイカ軍団と呼ばれた選手の中で、ナザロフの知名度はなぜか今ひとつの印象だったが、テクニカルなボクシングが身上の勇利とヤノフスキーに比べるとナザロフのファイトスタイルは非常に好戦的で、管理人の中では当時お気に入りの選手であった。

ナザロフは、欧州ライト級王者のアマチュア実績を引っさげて勇利らとともに平成元年に来日。
名門協栄ジムに入門する。くつ
協栄ジム出身で元世界J・フライ級王者の具志堅用高氏に風貌が似ていたことから、グッシー・ナザロフのリングネームで平成2年2月にプロデビュー。
アマチュア実績はダテではなく、日本レベルでは頭抜けた実力でKOの山を築く。パンチ
平成3年4月には、デビュー6戦目で日本ライト級王座へ挑戦。
八木賢治を4回KOに下して王座獲得。
早足でステップアップを目指すナザロフ陣営は、日本王座は2度防衛後に返上し、平成4年5月にOPBFライト級王座へ挑戦する。
タフな王者大友巌を相手にKOは逃したものの、文句なしの12回判定勝利で戴冠。
いつでも世界を狙える力はあったものの、世界ライト級王座挑戦のマッチメークは容易でないことから、OPBF王座の防衛を続けて世界ランクを押し上げつつ、じっくりチャンスをうかがうこととなる。
東洋レベルでも敵なしのナザロフは、問題なく防衛を重ね、世界上位ランカーとしての地位を着々と固めていく。右斜め上
OPBF王座は5度防衛後に返上。
待望の世界戦は平成5年10月に実現する。
相手はWBA世界ライト級王者ディンガン・トベラ(南アフリカ)。
敵地開催で「ソウェトの薔薇」と称される地元の英雄を相手に苦しい戦いが予想されたが、ナザロフは敵地でひるむようなタマではなく、ゴングが鳴ると勇敢に王者を追い回し、応戦するトベラと激しい打撃戦に突入する。ダッシュ(走り出すさま)
4回にトベラの右カウンターでダウンを喫したナザロフだが、徹底的なボディ攻撃に活路を見出し、徐々に王者のスピードとスタミナを奪っていく。
終盤は一方的なナザロフペースで、10回には左ボディでダウンを取り返す。
KOが期待されたが、経験豊富なトベラはなんとか試合終の了ゴングまで逃げ切り、勝負は判定へ。
ナザロフ優位の試合も、敵地判定への一抹の不安がよぎったが、結果は3−0でナザロフを支持。ニューヒーロー誕生となった。ぴかぴか(新しい)
翌年3月のトベラとの敵地再戦も12回判定で制したナザロフは、王座獲得がフロックではないことを証明。
平成6年12月には、またも敵地で人気者のジョーイ・ガマチェ(米国)に2回KO勝利で2度目の防衛成功。
玄人筋に高い評価を得るナザロフだったが、派手なパフォーマンスを好まない実直な性格が興行面ではマイナスで、実力に比してなかなか人気が伴わず。
試合枯れ傾向が顕著となり、平成8年4月にアドリアヌス・タロケ(インドネシア)に4回TKO勝利で5度目の防衛に成功すると、ビッグマッチを求めるナザロフの希望をかなえる形で協栄ジムからフランスのアカリエス・プロモーションへと移籍となる。
平成9年5月、移籍後の初戦となる6度目の防衛戦で指名挑戦者リーバンダー・ジョンソン(米国)と対戦したナザロフは、強敵を相手に7回TKO勝利。
改めて実力者ぶりを証明する。
さらなる長期政権が期待されたが、実はトベラとの第2戦が原因で網膜はく離を患い、だましだましの防衛戦が続いていたとのこと。
平成10年5月、7度目の防衛戦に臨んだナザロフは、長身のジャン・バプティスト・メンディ(仏)の長いリーチに距離感が合わず。
最終回にKOチャンスを掴んだものの、時間が足りず試合終了のゴングが鳴り、判定は3−0でメンディの勝利。
再起を模索したナザロフだったが、目の状態は想像以上に悪く、眼疾の悪化を理由に引退することとなった。

現在の日本で、ナザロフの名を知らないファンは結構多いらしい。
現役時代の知名度も今ひとつの印象で、実力者ながら待遇は不遇だった。
協栄ジム在籍時代は、同階級のジムメイトだったミゲル・アンヘル・ゴンザレス(東京三太)の評価が高く、ナザロフは2番手のレッテルを貼られた。
WBC世界ライト級王者となったゴンザレスとWBA王者ナザロフは、同時期に世界王者に君臨していたこともあって統一戦が期待されたが、結局夢のカードのまま実現せず。
世界的な知名度はゴンザレスが上だったように思うが、統一戦が実現していれば管理人はナザロフが有利だろうと当時思っていた。
文句なしに日本が世界に誇る一流王者である。演劇
ちなみに、具志堅用高氏を連想させる「グッシー」の愛称は、ナザロフ自身はお気に召さなかったとのこと(笑)。
しかしながら、具志堅氏のようなエキサイティングな名選手であることに間違いはないであろう。グッド(上向き矢印)
posted by ティト at 22:45| 岩手 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

3月12日 WBC世界バンタム級、フェザー級ダブルタイトルマッチ

3月12日

WBC世界バンタム級タイトルマッチ
長谷川穂積 1回TKO ブシ・マリンガ(南アフリカ)

電光石火の長谷川だ雷exclamation×2 磐石の3連続KO防衛パンチ

初回に3度のダウンを奪ってのTKO。
見事なまでに文句なし。演劇
管理人が感想を述べるまでもないでしょう。
具志堅用高さんの最多防衛記録を塗り替えるのはこの男になりそうです。グッド(上向き矢印)


WBC世界フェザー級タイトルマッチ
粟生隆寛 12回判定(3−0) オスカー・ラリオス(メキシコ)

日本人キラーを退治ダッシュ(走り出すさま) 大器がついに世界の頂点へ位置情報

前回の対戦で、ダウンを奪いながら僅差の判定で涙を呑んだ粟生選手が、宿敵ラリオスを序盤から圧倒。
大差の判定勝利で念願の世界タイトルを手に入れました。手(チョキ)
しかし粟生選手の学習能力の高さには目を見張りますね。ひらめき
最近の粟生選手の試合を見ると、一歩一歩強くなるというよりは、1段飛ばし2段飛ばしで強くなっている印象です。飛行機
スポンジが水を吸収するかのごとく進化を続けていますね。
前回の世界初挑戦では、ダウンを奪った後にKOを狙うあまり上体だけが前に突っ込んで手が出ない状態になってしまいましたが、その反省点を今回はクリアしてみせました。ペン
プレッシャーをかけながらも重心は常にニュートラルで、バランスを崩さずに間断なく手数を出すことができたようです。手(グー)
引かば押せ、押さば引けの鉄則を忠実に遂行していた感じです。
カウンターを合わせる勘は元々ずば抜けたものがありましたが、それに加え、パンチ力自体が大きく増していますね。パンチ
体つきもだいぶビルドアップされているようです。
粟生選手のパンチがクリーンヒットする度にラリオス選手は体勢を崩す感じでしたし、パワーでも名王者ラリオス選手を凌駕していたと思います。
下から突き上げるような鋭いジャブで何度もラリオス選手の顔を跳ね上げていたのが印象的でした。
ちなみに、管理人の採点は119−108で粟生選手の勝利。
10回終了間際に1発だけまともにカウンターをもらってぐらつき、ヒヤッとしましたが、その他はピンチらしいピンチもありませんでしたね。
最終回にはダウンを奪ってKO勝利の期待が高まりましたが、スタミナ切れで追撃ならず。
まあ試合終了でスタミナをちょうど使い切ったわけですから、素晴らしい試合運びだったということでしょう。
この選手はまだまだ強くなりますね。右斜め上

今まで日本人選手をことごとく撃退してきたラリオス選手ですが、今回はさすがに脱帽でしょう。
日本のファンにとっては憎っくき選手ながら、新王者粟生選手の勝利を称える紳士的な姿には清々しさを感じました。ぴかぴか(新しい)
心身ともに一流の選手ですね。
posted by ティト at 23:50| 岩手 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

亀田興毅 世界前哨戦

3月4日

フライ級ノンタイトル10回戦
亀田興毅 2回TKO ドローレス・ビダル(メキシコ)


久々に民放テレビ番組で見ることのできた試合がこの試合です。
それがノンタイトル戦なのですから、亀田選手は地方在住の管理人にとって本当に貴重な選手です(笑)。

試合内容ですが、文句のつけどころはないでしょう。
相手との実力差は明らかにありましたが、それを割り引いても素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。音楽
試合枯れを心配していましたが、確実に進化していますね。グッド(上向き矢印)
以前のように猪突猛進スタイルではなく、プレッシャーをかけながらも距離をしっかりキープできていました。
フットワークを重点的に磨いてきたようですね。くつ
今日は、引かば押せ、押さば引けという基本に忠実なボクシングでした。
細かい連打でダメを押す詰めの鋭さも見事でしたし、勝負どころを見逃さないしたたかさを十分に見せてくれました。
WBA王者デンカオセーン選手への挑戦話がこじれる中で、なんとなく今日の試合からは、迎え撃つボクシングが持ち味のWBC王者内藤選手との対戦をイメージしているのかなあと感じました。
とにもかくにも次は世界戦とのこと。
準備は万端に整ったと管理人は思った次第です。


セミファイナルでは、亀田3兄弟の次男、亀田大毅選手が登場。
久々に大毅選手を見ましたが、この選手も大きく進化しています。右斜め上
興毅選手同様、フットワークに磨きをかけてきたようですし、ボディワークやフェイントなど、試合の組み立てを考えながら戦っている意図が見えました。
ポイントも取れていたようですし、かつての八方破れのブルファイタースタイルからは脱却していますね。
曲者の元世界王者ワンディ・シンワンチャー選手(タイ)を6回KOで仕留めたのは見事。パンチ
世界を狙える逸材であることは間違いないでしょう。exclamation×2
posted by ティト at 22:20| 岩手 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

勇利・アルバチャコフ

勇利・アルバチャコフ(協栄ジム)
WBC世界フライ級チャンピオン
生年月日:1966.10.22
ニックネーム:精密機械
戦績:23勝16KO1敗


現在のプロボクシング界の中で、旧ソ連勢の躍進は著しい。グッド(上向き矢印)
共産主義の旧ソ連時代は、優秀な選手がアマチュアで素晴らしい成績を残してはいたが、当然のことながら長らくプロの世界王者は生まれなかった。
ペレストロイカ政策から民主化への動きが高まり、ソ連崩壊を経て優秀な人材が世界に羽ばたくようになると、次々に世界王者が生まれ、またたく間にプロボクシング界の勢力図が一変した感がある。NEW
じゃあ誰が旧ソ連出身で最初の世界王者なの?という話になるが、それが何を隠そう(誰でも知ってるか(笑))、勇利・アルバチャコフなのである。
当時は輸入ボクサーという言葉が流行となっていたが、紛れもなく日本のジムが輩出した日本発の世界王者だ。exclamation×2

勇利は、アマチュアの世界王者の実績を引っさげて平成元年に来日。
トレーナーのジミン・アレクサンドル氏や、同じくソ連で抜群のアマチュア実績を持つオルズベック・ナザロフ、スラフ・ヤノフスキーらとともに協栄ジムへ入門する。手(グー)
入門当初から実力は他を圧倒していたそうで、平成2年2月にプロデビューすると、対戦相手を全く問題とせずKOの山を築いていく。ダッシュ(走り出すさま)
1年間で6連続KO勝利と次元の違う強さを見せ付けた勇利(当時のリングネームはチャコフ・ユーリ)は、平成3年3月にピューマ渡久地の持つ日本フライ級王座への挑戦が決定。
渡久地は勇利同様に当時飛ぶ鳥を落とす勢いの若きホープで、無敗同士の両者の対戦はファン垂涎の好カードであった。イベント
しかし、試合を目前にして渡久地が所属ジムとのトラブルで失踪。
試合は中止され、幻の好カードとなってしまった。
とばっちりを受けて日本王座挑戦は1試合延びてしまったが、平成2年7月、渡久地が剥奪された王座を水野隆博と争った勇利は、うっ憤を晴らすような1回KOの圧勝で日本フライ級王座を獲得。手(チョキ)
日本王者だけに収まらない実力を見せつけた勇利に、陣営は早期世界挑戦を模索。soon
日本王座は1度防衛後に返上し、世界戦へのウエーティングサークルに入る。
待望の世界挑戦は平成4年6月に実現。
相手はWBC世界フライ級王者ムアンチャイ・キティカセム(タイ)。
確かこの試合は人気俳優のミッキー・ロークのエキシビションマッチの前座に組まれたもので、大勢の女性ファンが主にローク目当てに会場に足に運んだはず。演劇
何はともあれ、大勢の観客の前で世界戦の舞台に立った勇利(世界戦時のリングネームはユーリ・海老原)は、軽快なフットワークと綺麗に伸びる右ストレートで王者を圧倒。
玄人をうならせるハイグレードなボクシングを見せ付けた末、8回KOで世界の頂点を極める。位置情報
長期政権間違いなしと誰からも太鼓判を押される見事な戴冠劇だった。ぴかぴか(新しい)
順風満帆に見える勇利のキャリアだが、ストレート主体で教科書のお手本のような綺麗なボクシングを見せる勇利は、対戦相手から研究されやすい傾向があり、意外に防衛戦は苦戦続き。
それでも伝家の宝刀右ストレートの威力で並み居る強敵をたじろがせ、着々と防衛記録を伸ばしていく。雷
平成5年3月には、敵地タイで前王者ムアンチャイを9回TKOに下して2度目の防衛。
平成6年8月にはウーゴ・ソト(亜)に8回KO勝利で5度目の防衛。
要所で鮮烈な勝利を飾り、勇利の評価は世界的に高まっていく。右斜め上
平成8年8月、9度目の防衛戦で、かつて対戦が直前でキャンセルされたことのある渡久地隆人(ピューマ渡久地)との因縁の対決が実現。
長らく世界のトップで戦ってきた勇利と長いブランクを作ってしまった渡久地との差は歴然で、9回TKOの勇利の圧勝で決着。
しかし、この試合で右拳を骨折し、痛恨のブランクを作ることとなる。
平成9年11月、2ケタ防衛をかけて暫定王者のチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)と対戦。
2年前に判定で1度勝っている相手も、1年3ヶ月のブランクの影響は大きく、いいところなく12回判定負け。
アマチュア時代から長らく世界のトップレベルで戦い続けた疲労を自覚し、この試合後すぐに引退発表となった。

クラブ制を採用する日本のボクシング界では、長期滞在の難しい外国人がジムに所属すること自体が珍しく、一昔前まで国際スポーツながら閉鎖的な環境が構築されてしまっていた。
そんなわけで、勇利らの活躍を輸入ボクサーだからと揶揄する向きも多かったが、ハイレベルのボクシングを間近で見るにつれて徐々に周りの意識も変化。ひらめき
生けるお手本として彼らから学ぼうとする若いボクサーが急増していった。ペン
また、根性主義偏重の日本の練習環境の中で、旧ソ連仕込みの科学的トレーニングで勇利らを鍛えるジミン・アレクサンドルトレーナーの練習法も日本の指導者に大きな影響を与えた。
協栄ジムの先代会長だった金平正紀氏(故人)は、当時のボクシング界きってのアイデアマン。アート
日本ボクシング界の切磋琢磨を促すために積極的に外国人ボクサーを受け入れ、国内リングの活性化に尽力した功労者だ。メモ
あらゆる人間に門戸が開かれていることがボクシングの最大の長所。
他のスポーツで見られる外国人枠なるものは設けず、今後もハングリーな選手が夢を掴める場であってほしいと願う。晴れ
posted by ティト at 21:40| 岩手 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

12月31日 WBA世界フライ級タイトルマッチ

2008年12月31日

WBA世界フライ級タイトルマッチ
デンカオセーン・シンワンチャー(タイ) 2回KO 坂田健史


坂田選手、よもやのKO負け。
ガードをがっちり固めて相手のパンチを受け止めるタイプだけに、クリーンヒットを許す危険性は常につきまとっていましたが、相手の右クロスをまともにジョーにヒットされてしまいました。
調子云々というよりは、毎試合つきまとっていた不安を突かれてしまった印象です。
ラッキーパンチではないですね。
ボディワークで相手のパンチの威力を殺ぎ、のらりくらりといなしながら自分のペースに引きずり込む対抗王者の内藤選手と比べると、被弾をいとわず前進する坂田選手の生真面目さが相手に付け入る隙を与えてしまいました。
やはりガード偏重のディフェンスで世界レベルの試合を勝ち続けるのは難しいですね。
ガードを外して打った後の打ち終わりも相手に狙われやすいですし。
相手に力が漲っている前半にパンチをまともに受け止めるといくらタフでも倒れてしまいます。
戦力的には申し分ない坂田選手ですので、相手の出足をいなす老獪さを身につければすぐにでも王座復帰できるでしょう。
絶対這い上がれる選手です。
頑張れ、坂田選手。モータースポーツ

デンカオセーン選手は、坂田選手のスタイルを十分わかっていましたので、自分の力が漲っている序盤に強いパンチをまとめてきました。
スタミナ配分は考えず、前半にできるだけダメージを与え、あわよくば倒してしまおうという意図がうかがえましたし、それがずばりハマりました。
スタミナ十分の坂田選手相手に、後半勝負になると厳しくなるということを自覚していたのでしょう。
パンチがなかなか多彩で力強いので、今回の戴冠で自信を増すと怖い王者になりそうです。
posted by ティト at 19:21| 岩手 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月26日

大橋秀行

大橋秀行(ヨネクラジム)
ニックネーム:150年に1人の天才
神奈川県横浜市出身
WBC、WBA世界ストロー級チャンピオン
生年月日:昭和40.3.8
戦績:19勝12KO5敗


1980年代終盤は、日本ボクシング界にとって暗黒の時代だったと言われることがある。
世界挑戦しては何度も失敗を繰り返し、日本人の世界王者不在の時期が長らく続いたからだ。
それでも時はバブルの好景気。ふくろ
ホープには次々にチャンスが与えられるある意味幸運な時代でもあった。
そんなこんなで実力不十分な日本人挑戦者が世界の壁に跳ね返されること連続21度。
国民は、連敗ストッパーを今か今かと待望していたものだ。
そしてついに現れた連敗ストッパーが、「150年に1人の天才」大橋秀行だった。手(チョキ)

大橋は、横浜高時代にインターハイでモスキート級王者に輝くなど、抜群のアマチュア実績の持ち主。
専修大に進学したものの、本人のプロ志向が強く、中退してスカウトを受けたヨネクラジムに入門することとなる。
生来のハードパンチの持ち主で、米倉会長は大橋の才能にベタ惚れ。
具志堅用高の売り出し文句だった「100年に1人の天才」を超える「150年に1人の天才」と表現して大橋を絶賛したものだった。るんるん
デビューは昭和60年2月。
米倉会長は、大橋を少しでも早く世界王者にするべく、キャリア早々に強敵をぶつける方針で大橋を鍛えていく。
昭和60年8月にデビュー3戦目で元世界ランカーの倉持正と対戦した大橋は、見事な初回KOで期待に応える。
ファンの間でも大橋を将来の世界王者として期待する声は数多。
しかし、昭和61年3月の5戦目でのちに世界王者となる金奉準(韓)の手数の多さに後れを取り、10回判定負けで初めての挫折を味わう。
これで回り道を余儀なくされると思われたが、米倉−大橋の師弟コンビは意気軒昂。
同年6月に野島嘉章を10回判定で下して日本J・フライ級王座を獲得すると、その王座は返上して次戦での世界挑戦を発表。
かつてプロ8戦目での世界王座最短奪取記録に挑んだことのある米倉会長は、日本新記録となるプロ7戦目での世界王座奪取の夢を大橋に託したのである。演劇
その新記録を目指す世界挑戦の相手となったのが、「韓国の虎」と称されるコリアン・ファイター、WBC世界J・フライ級王者の張正九。
世界的評価の高い張が相手で、しかも会場は敵地。
厳しい戦いが予想されたが、自分のパンチ力に自信をみなぎらせる大橋は、強気なコメントを連発して韓国へと飛び立つ。
昭和61年12月に行われた試合は、張圧倒的有利の前評判通りにはならずに大橋が健闘。
序盤から真っ向勝負で一進一退の打ち合いとなる。
地元の英雄である張を強打でたじろがせるシーンもあったが、最後は手数と馬力に勝る張に押し切られて5回TKO負け。
惜しくも日本新記録達成はならなかったものの、大橋の素晴らしい将来を予感させる内容となった。
すぐにカムバックして進撃を始めた大橋は、昭和63年1月、張への挑戦権を賭けて当時ライバルと目されていた喜友名朝博と日本J・フライ級タイトルマッチで激突。
実力者の喜友名を相手に際どい勝負となったが、見栄えの良い強打でポイントを押さえて10回判定勝利で2度目の日本王座獲得。
張との世界戦が内定したことから、日本王座はまたも防衛戦を行わずに返上となる。
同年6月、待ちに待った張へのリベンジの舞台は東京後楽園ホール。
満を持した地元開催に、大橋はかつてないほどの気合を漲らせてリングへ上がる。
試合は、初戦に勝るとも劣らない大熱戦。
手数の張とパワーの大橋の迫力十分の打ち合いとなる。
先にダウンを喫した大橋だが、その後吹っ切れたように猛反撃。
右カウンターで名王者張をダウン寸前のグロッギーに追い込み、会場は興奮のるつぼ。モータースポーツ
しかし、タフな張が盛り返すと大橋はついに力尽き、8回TKO負けで雪辱ならず。
両者死力を尽くした好勝負であった。ぴかぴか(新しい)
痛恨の敗北を喫した大橋だが、実力が世界レベルにあることは自他ともに証明されたわけで、世界王座への野望は一向に衰えず。
当然のようにカムバックしてKO勝利を積み重ねていく。
陣営の方針でよりチャンスの大きいストロー級へ転向した大橋に、3度目の世界戦の機会が訪れたのは平成2年2月。
会場は後楽園ホールで、相手はWBC世界ストロー級王者の崔漸煥(韓)。
宿敵張に比べると実力的に数段劣る相手だったことから、戦前の予想は挑戦者の大橋が有利との報道が多かったように記憶している。
冒頭に言ったように日本人の世界挑戦の連敗が続いていた時期であり、今度こそ不名誉な連敗記録はストップされるだろうという期待満々の記事がスポーツ紙だけにとどまらず一般紙でも大々的に見られた。ペン
多くの国民が期待する中で行われた試合は、期待通りに大橋のパンチ力が試合を支配。
そして9回、強烈な左ボディで2度のダウンを与えた大橋の豪快なKO勝利となった。パンチ
新王者誕生に後楽園ホールは万歳三唱。
多くの国民が歓喜の雄たけびを上げたことだろう。音楽
日本ボクシング界の救世主となった大橋に、ファンは長期政権を期待。
同年6月の初防衛戦では、井岡弘樹から王座を奪ったことのあるナパ・キャットワンチャイ(タイ)に明白な12回判定勝利。
ここまでは順調だったのだが、2度目の防衛戦で最強の挑戦者の呼び声高いリカルド・ロペス(メキシコ)との指名試合が長期政権への山場とされた。
同年10月に行われたこの試合は、初回に大橋が単発強打を決めた以外は一方的なロペスのペースで進み、予想外の5回TKOの惨敗で王座陥落。
ロペスは周知のとおりスーパー・チャンプへの道を歩むこととなる。
完膚なきまでの完敗に精神的なショックが心配されたが、大橋はロペスへの雪辱を目指して力強く再起。
前哨戦を重ねて世界ランクを維持しながら、いつでも世界戦のリングに立てるようにと日々練習に明け暮れ、向上心にも余念なし。
ロペスとの再戦熱望を公言していた大橋だったが、陣営はWBA王座に照準を定める。
平成4年10月、崔煕庸(韓)の持つWBA世界ストロー級王座への挑戦が決定。
2年ぶりの世界戦となる。
試合は、頭をぶつけながら突進する崔を大橋が単発強打で迎え撃つ展開。
相手の手数とバッティングに苦しみ、額を大きく腫らした大橋だったが、要所で有効打を決めて12回判定勝利。
見事な2度目の世界王座奪取で、「不死鳥(フェニックス)」の愛称がすっかり板についた。晴れ
宿敵ロペスの対抗王者となった大橋は、近い将来の統一戦を熱望する。
しかし、その前に初防衛戦で落とし穴が待っていた。
平成5年2月、指名戦ではあったが伏兵と思われていたチャナ・ポーパオイン(タイ)によもやの判定負け。
ほとんど手数の出ない不完全燃焼の完敗だった。
この試合後に左目の網膜裂孔が発覚。
ボクサーの生命線である目を傷めてしまったことから、不屈の不死鳥もついに引退を決意することとなった。

手数が最重要視されていた軽量級の歴史の中で、単発強打を武器に世界の頂点を極めた大橋のボクシングスタイルはある意味異質だったと思う。
管理人は正直言うとイライラしながら大橋の試合を見ることの方が多かったが(笑)、腰の入ったカウンター一発で唐突にKOするシーンは痛快で、時に美しささえ感じたものだ。ひらめき
引退後の大橋は、平成9年に地元横浜で大橋ジムを開設。
川嶋勝重を世界王者に育て上げるなど、短期間で目覚しい成果をあげている。グッド(上向き矢印)
現在も実力十分の選手が多数在籍し、すでに名門ジムの雰囲気が漂う。
ボクシングスタイルには無骨なイメージのあった大橋氏だが、指導者としての力量は多くの関係者から高い評価を得ているとのこと。
聡明で弁も立つボクシング界きっての理論派だ。
そのリーダーシップが評価され、平成19年には並み居る重鎮を押しのけて東日本ボクシング協会会長に選出されるなど、今後のボクシング界を背負っていくであろう将来有望な指導者である。右斜め上
posted by ティト at 23:08| 岩手 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

12月23日 WBC世界フライ級タイトルマッチ

2008年12月23日

WBC世界フライ級タイトルマッチ
内藤大助 11回TKO 山口真吾


日本人同士の世界戦となったこの試合は、内藤選手が終盤の怒涛のラッシュで見事フィニッシュ。パンチ

前回の防衛戦で大苦戦した内藤選手ですが、前回同様の終盤KO決着も、今日は常にポイントリードを保ちながらの展開だったので試合運びには落ち着きがありましたね。
出てくる相手を迎え撃つ展開になると強みを発揮するタイプでしょう。
この選手の最大の特長は、スタミナが切れそうに見える状態から盛り返して多くの手数を繰り出せるところ。
2段ロケット、3段ロケットの粘り腰です。飛行機
内藤選手に限界はまだ見えません。グッド(上向き矢印)

山口選手は、挑戦者らしく積極的に前に出て内藤選手に肉薄しましたが、柔軟なボディワークを駆使する内藤選手に会心のパンチを当てることができず。
中盤以降は被弾覚悟で打ち合いを挑んだものの、ダメージの蓄積で11回に力尽きた感じです。
山口選手の何が何でもタイトルを奪いたいという気概は見るからに伝わってきました。
まだまだ強くなる選手ですので、もう1度世界戦の舞台まで這い上がってもらいたいですね。

一進一退に見える試合展開でしたが、オフィシャルの採点は10回まで内藤選手の大量リード。
ポイントを奪うカギはやはりボディワークでしょう。
ガードの上からまともに打たせるディフェンスと、ボディワークでダメージを逃がすディフェンスでは、現行の採点システムでは後者が支持されます。
微差のラウンドをモノにする必要のある世界戦で、内藤選手や長谷川穂積選手の柔軟なボディワークは強みを発揮していますね。
多くの日本人選手のお手本になる選手です。ペン
posted by ティト at 21:27| 岩手 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

オスカー・デラホーヤvsマニー・パッキャオ

12月6日(日本時間7日)

マニー・パッキャオ(比) 8回終了TKO オスカー・デラホーヤ(米)


パッキャオ 文句なしの勝利で史上最高のアジアの英雄へ右斜め上位置情報

デラホーヤ キャリア初の惨敗を喫す


デラホーヤ優位の大方の予想に反し、パッキャオの圧倒的な勝利。ひらめき
間断なく手を出し、出入りのフットワークが軽快なパッキャオは、ほぼ一方的にデラホーヤを打ちまくりました。パンチ
パッキャオが勝つとしたら出会い頭的な大振りの一発が当たった場合かなあと実は管理人は思っていましたが、この試合は実力でデラホーヤを寄せ付けず。ダッシュ(走り出すさま)
いやあ驚きました。目
パッキャオを史上最高のアジア人ボクサーと呼んでももはや異論はないでしょう。exclamation×2
さあ、次の相手は○イウェザーだ!!(笑)

デラホーヤは、この日は全くいいところなし。
今まではたとえ敗れても必ず見せ場は作る千両役者ぶりでしたが、この試合は最初から最後までパッキャオのスピーディな動きについていけませんでしたね。
輝かしいキャリアの中で初めての惨敗といってもいいでしょう。
8回でギブアップした姿は、スーパースターの落日を見た思いでした。
このまま引退となるのか、それともどん底から這い上がってくるのか。
ゴールデンボーイと呼ばれた男の今後が注目されます。
posted by ティト at 01:53| 岩手 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | 観戦記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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