2007年01月05日

パーネル・ウィテカー

パーネル・ウィテカー(米)
統一世界ライト級、IBF世界J・ウエルター級、WBC世界ウエルター級、WBA世界J・ミドル級チャンピオン
ニックネーム:スウィートピー
生年月日:1964.1.2
戦績:40勝17KO4敗1分1無判定試合


ボクシングの最大の魅力は、打ちつ打たれつの打撃戦であると考えるファンがほとんどであろう。どんっ(衝撃)
しかし、ボクサー側からすると、打たせずに打つボクシングこそ理想だと考えているはずである。
パーネル・ウィテカーは、打たせないで打つというボクサーの理想を体現してみせた、小憎らしいほどディフェンス技術に優れた超テクニシャン王者だ(笑)。くつ
ウィテカーのプロデビューは1984年。
抜群のボクシングセンスで勝ち進んだウィテカーの世界初挑戦は1988年。
WBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・ラミレス相手に有利に試合を進めたものの、敵地においてウィテカーのディフェンス技術は評価されず、判定は12回判定負け。
しかし、この試合で世界レベルを証明したウィテカーは、1999年にはIBF世界ライト級王者グレグ・ホーゲンへの挑戦のチャンスを得る。
結果はほぼ完封の内容の12回判定勝利で念願の王座獲得。
同年には、初挑戦でタイトルを取り損ねた相手であるホセ・ルイス・ラミレスとWBC世界ライト級タイトルを争い、今度は明白な12回判定勝ちで2つ目のタイトルを獲得。
1990年になると、防衛戦でアズマー・ネルソンの3階級制覇を阻止し、その勢いに乗ってWBA王者ファン・ナサリオとの統一戦を敢行。
試合開始早々にタイミング抜群の左ストレートを決めて意外にも(笑)1回KOの圧勝劇で見事3団体統一王者の座に就くなど、ウィテカー時代の到来を予感させる出色のパフォーマンスを見せる。ぴかぴか(新しい)
ライト級で敵なしのウィテカーは、1992年に統一ライト級王座を返上。
目標を複数階級制覇に定める。
チャンスはすぐに訪れ、1992年にラファエル・ピネダの持つIBF世界J・ウエルター級王座へ挑戦。
文句なしの12回判定で難なく2階級制覇達成。手(チョキ)
J・ウエルター級王座を長く保持するつもりはなく、半年も経たないうちに返上。
足早にウエルター級への転向を図る。
1993年には自分と同タイプのテクニシャンであるWBC世界ウエルター級王者ジェームズ“バディ”マクガートへの挑戦のチャンスを掴み、テクニカルな駆け引きを制してまたも文句なしの12回判定で3階級制覇王者の仲間入りを果たした。グッド(上向き矢印)
一気にビッグ・マッチの主役に躍り出たウィテカーは、初防衛戦の相手として、4階級制覇を賭けるメキシコの英雄、フリオ・セサール・チャベスを指名。
スーパースターを相手に戦前の予想は若干不利とは言われたものの、試合はウィテカーがほぼ自在にコントロール。
判定は不可解な12回ドローとなり、不敗のチャベスに土をつけることはできなかったが、観客のほとんどはウィテカーの完封勝ちと思ったことだろう。
あまりにディフェンシブなスタイルゆえに多くのファンの支持を得ることはできなかったが、ウィテカーを打ち崩せる選手が当時見当たらなかったことは事実。
半身に構え、体を自由自在にひねる特異なスタイルで快調に進撃するウィテカーは、1995年にはWBA世界J・ミドル級王者フリオ・セサール・バスケスをも完封。
かつてない異質な4階級制覇王者の誕生となった。位置情報
小柄なウィテカーは、J・ミドル級王座はすぐに返上してウエルター級王座の防衛に専念。
安全運転で危なげなく勝ち続けるウィテカーの快進撃を誰がストップするかにファンの注目が長らく集まっていたが、ついに待ちに待った期待のホープが現れる。
それが“ゴールデンボーイ”オスカー・デラホーヤだ。
1997年、典型的なヒールとアイドルの対決が実現。
試合はどちらが勝ってもおかしくない接戦となったが、デラホーヤのアグレッシブネスが評価され、僅差の判定でウィテカーは虎の子のタイトルを失うこととなった。
この敗北に対する納得のいかない気持ちを引きずってしまったウィテカーは、以降全く精細を欠いてしまう。
1997年にアンドレイ・ペスチリアフに12回無判定試合の凡戦を演じてブランクを作った後、再起を期して1999年にIBF世界ウエルター級王者フェリックス“ティト”トリニダードに挑戦。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いのトリニダード相手にKOを免れるのがやっとの明白な12回判定負け。
ブランクで持ち前の防御勘も錆び付き、2001年にカルロス・ボホルケスに4回TKO負けで完全に世界のトップから脱落。
そのまま引退と相成った。

ウィテカーほど現役時代に不人気をかこった王者もいないであろう。
ずば抜けたディフェンス技術をコアなボクシングファンから評価されることはあったが、打撃戦を好む一般のファンの支持を得ることはとうとうできずじまい。たらーっ(汗)
ある意味不運な4階級制覇王者だ。もうやだ〜(悲しい顔)
しかし、ディフェンスの重要性が増している現在、ウィテカーのテクニックは、多くのボクサーにとって大いに参考となる教科書にもなりうるだろう。ひらめき
まあウィテカーのテクニックを模倣することは容易ではないが(笑)。
異質な選手ではあったが、ウィテカーは間違いなく90年代を代表する名選手だったと管理人は断言できるのである。わーい(嬉しい顔)
posted by ティト at 22:39| 岩手 | Comment(8) | TrackBack(0) | 外国人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
よく言われる玄人受けするボクシングだったんですね〜ディフェンス技術があったからこそ、自分よりも大きな相手に勝つことができたんでしょうね(^0^)
Posted by よう at 2007年01月06日 12:49
ナサリオ戦のKOパンチの左は驚きました!
スムーズっていうのか日本刀のような切れ味!
Posted by マーチ at 2007年01月06日 13:36
こんにちは、ようさん。
ウィテカーの場合、足はそれほど使わずにボディワークで相手のパンチを外すタイプでした。
相手のパンチに対する反応の良さは出色でしたね。

こんにちは、ようさん。
ウィテカーはディフェンス一辺倒の選手というイメージが付きまとっていますが、決してそんなことはありませんよね。
手数が良く出ますし、詰めも鋭いです。
そしてワンパンチの威力が意外と強くて、ナサリオ戦のようにタイミング抜群のパンチでダウンを奪うことも多かったような気がします。
Posted by ティト at 2007年01月07日 15:32
テレビ画面で見る限り、その気になればフェザーウェイトでもつくれそうな痩身な体躯。それでいて、幅は2倍、顔の面積は5倍はありそうなバスケスを翻弄!もし私がボクサーなら絶対戦いたくない選手がハイメ・リオスとウィテカーです。
Posted by まさきち at 2007年01月12日 13:13
柔よく剛を制すとはウィテカーにぴったりの格言です(笑)。
ハイメ・リオスは具志堅用高選手からタイトルを奪った日本のファンにとってはにっくきパナマ人ボクサーですね。
Posted by ティト at 2007年01月14日 17:47
おれは当時、ウィテカーの試合を幾つも収集するほど、大好きだったなぁ。
初めて見たときは衝撃だったもの。
試合中、クリーンヒットを1発ももらわない完璧な技術。
こんな選手いるんだ・・と。
テクニックなら、自分の知る限りウィテカーの上を行く選手はまだ見たことないなー。

でも、安全運転でKOしないので人気出なかった。
人気のあるチャベルとかデラホーヤとの対戦では判定負けだけど、まったく打たれておらず実際は勝ちだったはず。
Posted by TOMOZO at 2007年10月20日 11:01
こんばんわ、TOMOZOさん。
ウィテカーのディフェンス技術は、時代を何十年も先取りするものなのかもしれませんね。
詰めは鋭い選手でしたが、あくまで相手が出てくるところを迎え撃つスタイルだっただけに、ファンからなかなか支持は得られず、人気者との対戦ではすっかりヒールの役回りでした。
Posted by ティト at 2007年10月21日 21:02
Los Angeles五輪でgold medalistとなりsugar ray leonard氏のように数多のsponsorがつくかと思いきや全くsponsorがつかず最初から不遇のプロ生活をstartさせた。

duckingやslippingには洗練されたものをみせたが観客を魅了する選手ではなく世界上位に進出する迄は意外な程地味な存在だった。

技術者としての驚異的な迄の蓄えは特筆すべきであり三団体を統一することに成功し拳闘人として漸く脚光を浴びたがスターとしては余りにも小心者であり被弾を極端に恐れるタイプだった。
Posted by 銃刀法違反,公務執行妨害歴あり at 2015年11月15日 21:46
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。