2006年10月01日

カルロス・モンソン

カルロス・モンソン(亜)
世界ミドル級チャンピオン
ニックネーム:パンパの拳雄
生年月日:1942.8.7
戦績:89勝61KO3敗9分1無効試合


アルゼンチンのスポーツヒーローといえばサッカーのディエゴ・マラドーナのイメージが一般には強いと思われるが、そのマラドーナにも劣らないアルゼンチンの英雄がカルロス・モンソンである。手(チョキ)
アルゼンチンのサンタフェの貧しい家庭に生まれたモンソンは、幼い頃から靴磨きやクズ拾いで家計を助けていたが、15歳の時にボクシングと出会い、将来のプロボクサーへの道を志すこととなる。
アマチュアの4年間で65勝8敗の好成績を収め、1963年、19歳でプロデビュー。
体力的に優れていたモンソンは精力的にリングに上がり、デビュー5年で60戦を消化。
戦績も上々で、アルゼンチンミドル級王座、南米ミドル級王座も獲得。
主戦場がアルゼンチンで、世界的な知名度はそれほどではなかっため、勝ち続けてもなかなかチャンスは訪れなかったが、1970年、ようやく世界戦のお呼びがかかる。
相手は世界ミドル級王者ニノ・ベンベヌチ。
いかに戦績が素晴らしいとはいえ、無名のモンソンが勝てるとは多くのファンが思っていなかったが、モンソンの実力は本物だった。手(グー)
ベンベヌチを12回KOに切って落としてあっさりと王座を獲得すると、初防衛戦でも再びベンベヌチ相手に3回KOの圧勝で、王座獲得がフロックでないことを証明。ダッシュ(走り出すさま)
その後も圧倒的な強さで、デニー・モイヤー、トム・ボックス、ベニー・ブリスコといった実力者を退け、エミール・グリフィスやホセ・ナポレスといった名選手もモンソンの軍門に降った。
ラストファイトのロドリゴ・バルデス戦で勝利し、14度という当時のミドル級王座最長防衛記録を樹立し、王座のまま1977年に引退。ひらめき
1964年に最後の敗戦を喫してから、引退するまでなんと73連勝。
無人の野を行く圧倒的な強さだった。グッド(上向き矢印)
モンソンは典型的な天才型だったらしく、マネージャーから「あいつほど練習しないボクサーは珍しい」と言われたそうだ。
180cmの長身に長い四肢、パンチ力、耐久力にスタミナも兼ね備えた素質の塊。
右ストレートが特に強烈で、「ライフル」と形容されたほど。パンチ
ボクシングをするために生まれてきたような一流のアスリートだった。
ミドル級歴代最強論争には欠かせない選手でもある。
そんな名選手のモンソンだったが、引退後はその輝かしい名誉を失うこととなる。
1988年、愛人への殺人罪で有罪となり、懲役11年の判決で刑務所行き。
パンパの拳雄の名声は一気に地に堕ちてしまった。
1995年1月8日、仮出所中に自動車事故に巻き込まれ、52歳の若さで急逝。
この突然の悲報に管理人も当時驚いたものだった。

写真で見るモンソンは、モデルのようなスタイルに爽やかな甘いマスク。
人気、実力ともにずば抜けていた。るんるん
まさに何年何十年に一人と言ってもいいような傑出した選手だろう。ぴかぴか(新しい)
posted by ティト at 11:41| 岩手 ☀| Comment(14) | TrackBack(0) | 外国人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
モンソンはミドル級の最強の一人ですね。ホプキンス、ハグラー、ロビンソン達と戦ったらって考えるとワクワクします。
Posted by マーチ at 2006年10月01日 22:53
モンソンとハグラーに関しては、年齢差はあったとはいえ、数年間は同時期に活躍していたこともあって対戦が不可能というわけではなかったはずです。
私も是非見たいカードでした。
Posted by ティト at 2006年10月01日 23:29
伝統あるミドル級。現代のテイラーにも名王者になってほしいですね!
Posted by マーチ at 2006年10月02日 23:18
クリーンな正統派スタイルのテイラーは私も好きな選手です。
名王者と呼ばれる選手に成長できるか注目です。
Posted by ティト at 2006年10月03日 22:47
あの「ライフル」はほとんど犯罪ですね。ベンべヌチは死ぬかと思いました。デュランがビザロを倒した右、ハーンズがデュランを倒した右とあわせて、ボクシング界三大右ストレートと勝手に命名してます。
Posted by まさきち at 2007年01月12日 00:37
モンソンといえばナポレス戦が有名ですよね。ウェルター級の名チャンピオンにとり2階級の差は厳しいものがありましたが、お互いの持ち味を出し切った名勝負でした。確かこの試合をプロモートした俳優のアラン・ドロンがリングサイドで観戦していたのを覚えています。
Posted by まさやん at 2007年06月24日 13:54
こんばんわ、まさきちさん。
まさきちさんのコメントをしばらく見逃していたみたいです・・・。
最近では、マスカエフがラクマンをロープ外に叩き出した右ストレートも強烈でした。

こんばんわ、まさやんさん。
ナポレスの技術をもってしても、モンソンの牙城は崩れませんでしたね。
最近でこそビッグマッチで有名人がリングサイドで観戦するのは風物詩になっていますが、当時はとても目立っていたでしょうね。
Posted by ティト at 2007年06月24日 22:16
私は、日本テレビ100人の偉人、勇気をくれたスター編に、アンドレ・ザ・ジャイアントに300票ほど投票した。それと同時に、ブルーザー・ブロディ、ディック・マードック、カルロス・モンソン、サルバドール・サンチェス等にも約50〜150票ほど投票した。さぁ、みんなで、人間山脈・一人民族大移動・大巨人・太平洋をひとまたぎで日本ヘやって来たアンドレ・ザ・ジャイアントと〈ライフルの右〉カルロス・モンソン、制極界を持つ男・全てがカウンターパンチ?のサルバドール・サンチェスに投票しようではないか!どうですか、お客さん?カルロス・モンソンの名セリフ「もう、リングの中で証明することは何もない。」は今でも語り種である。
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月06日 19:42
カルロス・モンソンは、漫画ろくでなしBLUESの主人公「前田大尊」の偉大でろくでなしBLUES史上最強の父「前田文尊」のモデルになっている。女と遊んでばかりいても誰にも負けず、1964年から引退するまでの13年間、82戦無敗だった。漫画でも実物でも最強キャラだったカルロス・モンソンをぜひとも、日本テレビ、100人の偉人勇気をくれたスター編に投票し、ぜひとも100位以内としよう。現代のガリバー旅行記、アンドレ・ザ・ジャイアントは10位以内としよう!どうですか、お客さん?
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月07日 01:03
カルロス・モンソンが苦戦した試合はほとんどない、が、強豪、スキンヘッドの黒人強打者ベニー・ブリスコウには1967年に引き分け。再戦となった6回目の防衛戦でも、第1Rに、挑戦者ブリスコウの強打でロープまで飛ばされた。効いていた。しかし、持ち前の無表情でダメージを隠し、うまくピンチを逃げきった。その後はうまくアウトボックスしての判定勝ち。しかし、ブリスコウ戦は唯一の大苦戦と言ってもよい。
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月18日 16:09
アンドレェ−?オメェ青い血の物語知ってるか?バカかおめえ! 管理人はご入院か何かしてんだカラよーサイト荒らすなテメェ(怒)?
Posted by ブルーザー・ブロディ at 2008年05月18日 23:10
↑失礼しました。ところで、ブロディさん。青い血の物語って、何でしょうか?おっかないですねー。 あと、管理人さんが入院しているというのは本当でしょうか?
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月18日 23:23
俺も知らねー?現在、ニートやってる奴の20年前のたわごとダゼ! 管理人?返答もしねぇしサイト捨てたか病院でねんねしてるんじゃねぇの。いずれオレは川尻浩作とかゆう奴の書き込みがいい気になっててテメェ気にクワねぇー!!
Posted by ブルーザー・ブロディ at 2008年05月18日 23:40
白井さんを破ったパスカルペレス氏や藤猛氏からベルトを奪ったニコリノローチェ氏らとは違い彼は純アルゼンチン人であり国民の期待を背負って毎回リングに上がった。アルゼンチン人おうじゃとしては唯一ベルトを保持したままリングを降りたが引退後は刑事,民事含め裁判の連続であり此の部分では地上げ絡みのtroubleを数多抱えた渡辺二郎氏に匹敵するのかもしれない。被告として出廷する元王者は拳闘ファンはどのように映ったのだろうか?
Posted by 銃刀法違反,公務執行妨害歴あり at 2015年11月15日 18:27
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