世界ヘビー級チャンピオン
ニックネーム:ザ・グレーテスト
生年月日:1942.1.17
戦績:56勝37KO5敗
この名を知らぬ者は世界中でもいないだろう。
ボクシングの枠をも超えた最も偉大なスポーツヒーロー、“ザ・グレーテスト”モハメド・アリの名を。
モハメド・アリというのは回教徒に改宗した後に自ら名乗った名で、生来の名はカシアス・クレイという。
看板屋の息子として生まれたクレイは、12歳の時に大事にしていた自転車を盗まれ、その自転車を取り戻すために警官が指導するボクシング・クラブでボクシングを学ぶことにしたのだとのこと。
運動能力抜群だったクレイはたちまち頭角を現し、わずか17歳でローマ五輪に出場。
そしてL・ヘビー級で金メダルを獲得し、一躍スターダムを駆け上がる。
五輪後間もなく、1960年にプロデビュー。
黒人であるというだけでレストランで差別的な扱いを受け、金メダリストとしてのプライドを傷つけられ、金メダルなど何の価値もないと川に投げ捨ててプロ入りを決意したなんてエピソードもある。
運動神経だけではなく、頭脳も抜群に明晰だったクレイは、自己をアピールすることにも優れていた。
プロ入り後は傲慢なまでのビッグマウスでファンからは「ほら吹きクレイ」のあだ名で注目を浴びる。
予告KOを実行するなど、ビッグマウスだけではなく実力もずば抜けていた。
1964年、無敗の19連勝で世界挑戦が実現。
相手は当時史上最強王者との評価さえあった恐怖の強打者ソニー・リストン。
クレイの大口も今回は大口だけで終わるだろうと思われていたが、クレイの圧倒的なスピードはリストンを単なる鈍重なファイターにしてしまった。
アリの素早い動きに全く対応できないリストンは焦りから大振りを繰り返し、あげくの果てに自らの肩を脱臼してしまい、8回のゴングを前に棄権。
7回終了TKOでクレイはアマチュアに続いてプロのリングでも世界の頂点に登りつめた。
ちなみにこの試合もクレイの予告通りのラウンドでのKO勝利だった。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
カシアス・クレイの代名詞となった華麗なボクシングは世界中のファンの心を掴むこととなった。
クレイはリストンからタイトルを奪取した後、突如自らの本名を捨て、回教徒名モハメド・アリを名乗ることとなる。
そして改名とともにボクシングもますますその強さを増す。
1965年のリストンとの再戦では初回KOの圧勝。
元王者フロイド・パターソン、ジョージ・シュバロやヘンリー・クーパー、アーニー・テレルといった実力者を退け、1967年まで9度の防衛。
体力的にも絶頂だったアリだが、世界王座は国家権力によって奪われることとなる。
宗教的な信念からアリはベトナム戦争に反対し、徴兵を忌避。
この徴兵忌避によってアリは刑務所に閉じ込められることとなり、王座は剥奪。
最も脂が乗り切った時期に3年半のブランクを作ることとなった。
ベトナム戦争が泥沼に陥り、反戦運動が高まってくるとともにアリの名誉は回復。
そして1970年にアリはカムバック。
再起3戦目の1971年には早くも世界挑戦へのチャンスを得る。
相手は“スモーキン”ジョー・フレージャー。
ブラック・ムスリムのアリとクリスチャンのフレージャーとの対決は、ボクシングの枠を超える注目を集め、世紀の一戦とまで称された。
試合は一進一退の熱戦の末、14回にフレージャーの左フックをもらってしまったアリがダウン。
辛くもKOは免れたものの15回判定負けで王座復帰はならず。
それでもアリは王座復帰への野望はあきらめず、辛抱強く世界挑戦のチャンスを待った。
1973年にはノンタイトル戦でケン・ノートンにアゴを割られて判定負けしたが、半年後の再戦では判定勝ちですぐに雪辱。
1974年には無冠となったフレージャーとの再戦に臨み、12回判定勝ちでこちらにも雪辱。
その勢いを駆って同年には怪物ジョージ・フォアマンに挑戦することとなる。
当時のフォアマンはまさに全盛期で、アリと死闘を繰り広げたフレージャーやノートンでさえ手も足も出ずに倒されたほどの圧倒的な強打者。
25歳の若き王者に対し、既に峠を越えたと思われていた32歳のベテランが勝てるとは誰も思わなかった。
生きて試合終了のゴングを聞ければラッキーとまで言われる始末。
この試合はザイールのキンシャサで行われたが、アリはあらゆる手段を用いてフォアマンにプレッシャーをかけた。
テレビカメラを相手にひたすらしゃべり続け、わざとフォアマンを怒らせるようなことを言う。
アリの巧みな弁舌の虜となった現地のファンは、「アリ・ボンバイエ(フォアマンをやっつけろ)」の大合唱。
フォアマンにとってはまさにアウェー状態。
度重なる挑発にいらだっていたフォアマンは試合前から極度に興奮し、ゴングとともに猛突進。
目論見通りに力任せで振り回してくるフォアマンに対し、アリはあの有名なロープ・ア・ドープ戦法で巧みにフォアマンの強打をいなす。
いたずらにスタミナを浪費してしまったフォアマンの隙をアリは見逃さなかった。
8回、急激に失速したフォアマンに連打を浴びせて世界中の度肝を抜くKO勝利。
この試合は「キンシャサの奇跡」と語り継がれるほどの大番狂わせ。
アリが只者ではないのは、ここで燃え尽きずにさらに10度もの防衛を果たしたこと。
太く短くの選手は数多いるが、アリは太く長く走り続け、ファンの心を捕らえて離さないスーパーヒーローだった。
1978年にレオン・スピンクスに敗れて王座を失った辺りからアリには衰えが目立ち始めた。
スピンクスにはすぐに雪辱し、3度ヘビー級王座獲得という記録を作ったものの、1980年にはラリー・ホームズに惨敗し、生涯唯一のTKO負けを喫する。
1981年、トレバー・バービックに10回判定負けを喫したのを最後についに不滅の巨星も引退することとなった。
ちなみにバービックは、マイク・タイソンが世界初挑戦した時のWBC王者。
ホームズもタイソンにはものの見事に倒されている。
年齢差のあるアリとタイソンに接点があるということ自体、いかにアリが長きにわたって世界の頂点に君臨していたかがわかろうというもの。
引退後のアリは、パーキンソン病を患い、かつてのビッグマウスやスピーディな動きは失われてしまったが、アトランタ五輪の最終聖火ランナーを務めるなど、今も世界のスーパーヒーローだ。
ザ・グレーテスト(最も偉大な男)は、世界中の人々にとってまさに生ける伝説である。















アリを見たいというファンの期待に応えるために世界中を駆け回る大衆のチャンピオンでもありました。
その頑張り屋ぶりが引き際を遅らせてしまった感があります。
リストン戦で途中毒水で目が見えなかったっていうのは本当ですか?
リストン戦の毒水の話は初めて聞きます。
とても目が見えなかったとは思えない素晴らしい戦いぶりに見えましたが。
人間的にも素晴らしいです。