2006年09月27日

モハメド・アリ

モハメド・アリ(米)
世界ヘビー級チャンピオン
ニックネーム:ザ・グレーテスト
生年月日:1942.1.17
戦績:56勝37KO5敗


この名を知らぬ者は世界中でもいないだろう。exclamation×2
ボクシングの枠をも超えた最も偉大なスポーツヒーロー、“ザ・グレーテスト”モハメド・アリの名を。
モハメド・アリというのは回教徒に改宗した後に自ら名乗った名で、生来の名はカシアス・クレイという。
看板屋の息子として生まれたクレイは、12歳の時に大事にしていた自転車を盗まれ、その自転車を取り戻すために警官が指導するボクシング・クラブでボクシングを学ぶことにしたのだとのこと。ダッシュ(走り出すさま)
運動能力抜群だったクレイはたちまち頭角を現し、わずか17歳でローマ五輪に出場。
そしてL・ヘビー級で金メダルを獲得し、一躍スターダムを駆け上がる。
五輪後間もなく、1960年にプロデビュー。
黒人であるというだけでレストランで差別的な扱いを受け、金メダリストとしてのプライドを傷つけられ、金メダルなど何の価値もないと川に投げ捨ててプロ入りを決意したなんてエピソードもある。あせあせ(飛び散る汗)
運動神経だけではなく、頭脳も抜群に明晰だったクレイは、自己をアピールすることにも優れていた。
プロ入り後は傲慢なまでのビッグマウスでファンからは「ほら吹きクレイ」のあだ名で注目を浴びる。
予告KOを実行するなど、ビッグマウスだけではなく実力もずば抜けていた。
1964年、無敗の19連勝で世界挑戦が実現。
相手は当時史上最強王者との評価さえあった恐怖の強打者ソニー・リストン。
クレイの大口も今回は大口だけで終わるだろうと思われていたが、クレイの圧倒的なスピードはリストンを単なる鈍重なファイターにしてしまった。
アリの素早い動きに全く対応できないリストンは焦りから大振りを繰り返し、あげくの果てに自らの肩を脱臼してしまい、8回のゴングを前に棄権。
7回終了TKOでクレイはアマチュアに続いてプロのリングでも世界の頂点に登りつめた。位置情報
ちなみにこの試合もクレイの予告通りのラウンドでのKO勝利だった。
蝶のように舞い、蜂のように刺す
カシアス・クレイの代名詞となった華麗なボクシングは世界中のファンの心を掴むこととなった。

クレイはリストンからタイトルを奪取した後、突如自らの本名を捨て、回教徒名モハメド・アリを名乗ることとなる。
そして改名とともにボクシングもますますその強さを増す。
1965年のリストンとの再戦では初回KOの圧勝。
元王者フロイド・パターソン、ジョージ・シュバロやヘンリー・クーパー、アーニー・テレルといった実力者を退け、1967年まで9度の防衛。
体力的にも絶頂だったアリだが、世界王座は国家権力によって奪われることとなる。
宗教的な信念からアリはベトナム戦争に反対し、徴兵を忌避。
この徴兵忌避によってアリは刑務所に閉じ込められることとなり、王座は剥奪。人影
最も脂が乗り切った時期に3年半のブランクを作ることとなった。バッド(下向き矢印)

ベトナム戦争が泥沼に陥り、反戦運動が高まってくるとともにアリの名誉は回復。
そして1970年にアリはカムバック。
再起3戦目の1971年には早くも世界挑戦へのチャンスを得る。
相手は“スモーキン”ジョー・フレージャー。
ブラック・ムスリムのアリとクリスチャンのフレージャーとの対決は、ボクシングの枠を超える注目を集め、世紀の一戦とまで称された。
試合は一進一退の熱戦の末、14回にフレージャーの左フックをもらってしまったアリがダウン。
辛くもKOは免れたものの15回判定負けで王座復帰はならず。
それでもアリは王座復帰への野望はあきらめず、辛抱強く世界挑戦のチャンスを待った。
1973年にはノンタイトル戦でケン・ノートンにアゴを割られて判定負けしたが、半年後の再戦では判定勝ちですぐに雪辱。
1974年には無冠となったフレージャーとの再戦に臨み、12回判定勝ちでこちらにも雪辱。
その勢いを駆って同年には怪物ジョージ・フォアマンに挑戦することとなる。
当時のフォアマンはまさに全盛期で、アリと死闘を繰り広げたフレージャーやノートンでさえ手も足も出ずに倒されたほどの圧倒的な強打者。パンチ
25歳の若き王者に対し、既に峠を越えたと思われていた32歳のベテランが勝てるとは誰も思わなかった。
生きて試合終了のゴングを聞ければラッキーとまで言われる始末。
この試合はザイールのキンシャサで行われたが、アリはあらゆる手段を用いてフォアマンにプレッシャーをかけた。
テレビカメラを相手にひたすらしゃべり続け、わざとフォアマンを怒らせるようなことを言う。
アリの巧みな弁舌の虜となった現地のファンは、「アリ・ボンバイエ(フォアマンをやっつけろ)」の大合唱。
フォアマンにとってはまさにアウェー状態。
度重なる挑発にいらだっていたフォアマンは試合前から極度に興奮し、ゴングとともに猛突進。
目論見通りに力任せで振り回してくるフォアマンに対し、アリはあの有名なロープ・ア・ドープ戦法で巧みにフォアマンの強打をいなす。
いたずらにスタミナを浪費してしまったフォアマンの隙をアリは見逃さなかった。
8回、急激に失速したフォアマンに連打を浴びせて世界中の度肝を抜くKO勝利。ひらめき
この試合は「キンシャサの奇跡」と語り継がれるほどの大番狂わせ。
アリが只者ではないのは、ここで燃え尽きずにさらに10度もの防衛を果たしたこと。
太く短くの選手は数多いるが、アリは太く長く走り続け、ファンの心を捕らえて離さないスーパーヒーローだった。るんるん
1978年にレオン・スピンクスに敗れて王座を失った辺りからアリには衰えが目立ち始めた。
スピンクスにはすぐに雪辱し、3度ヘビー級王座獲得という記録を作ったものの、1980年にはラリー・ホームズに惨敗し、生涯唯一のTKO負けを喫する。
1981年、トレバー・バービックに10回判定負けを喫したのを最後についに不滅の巨星も引退することとなった。
ちなみにバービックは、マイク・タイソンが世界初挑戦した時のWBC王者。
ホームズもタイソンにはものの見事に倒されている。
年齢差のあるアリとタイソンに接点があるということ自体、いかにアリが長きにわたって世界の頂点に君臨していたかがわかろうというもの。グッド(上向き矢印)

引退後のアリは、パーキンソン病を患い、かつてのビッグマウスやスピーディな動きは失われてしまったが、アトランタ五輪の最終聖火ランナーを務めるなど、今も世界のスーパーヒーローだ。
ザ・グレーテスト(最も偉大な男)は、世界中の人々にとってまさに生ける伝説である。ぴかぴか(新しい)
posted by ティト at 10:35| 岩手 晴れ| Comment(12) | TrackBack(0) | 外国人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アリは自分も大好きです。シュバロ戦やフォアマン戦は見ました。ヘビー級であの華麗なフットワークは凄すぎる!
Posted by マーチ at 2006年09月27日 19:36
アリは力だけを競うヘビー級にスピードの重要性をもたらした革命的な選手でしたね。
アリを見たいというファンの期待に応えるために世界中を駆け回る大衆のチャンピオンでもありました。
その頑張り屋ぶりが引き際を遅らせてしまった感があります。
Posted by ティト at 2006年09月27日 21:32
ファンのことも考えていたまさにヒーローですね!
リストン戦で途中毒水で目が見えなかったっていうのは本当ですか?
Posted by マーチ at 2006年09月28日 07:54
こんばんわ、マーチさん。
リストン戦の毒水の話は初めて聞きます。
とても目が見えなかったとは思えない素晴らしい戦いぶりに見えましたが。
Posted by ティト at 2006年09月28日 23:31
確かKO勝ち間近のインターバル時だったような・・。アリはボクシング界以外でもヒーローですね。本当偉大です!o(^-^)o
Posted by マーチ at 2006年09月29日 01:06
アリは引退してからも病の体をおして平和を訴えるために世界中を飛び回っていますからね。
人間的にも素晴らしいです。
Posted by ティト at 2006年09月29日 19:27
フォアマン戦の予想が圧倒的に不利な中で、海老原博幸さんが「アリは天才中の天才」とコメントしてたのが懐かしく思います。
Posted by まさきち at 2007年01月12日 00:30
アリは、ベトナム戦争の徴兵を拒否して約3年のブランクを経た後では、体が大きくなって贅肉もついてきていた。そのために、以前ほど軽やかにフットワークを使い続けられなくなった。そのかわり、足をキャンバスに着けて、以前より腰の入ったパンチを出せるようになった。左フック、試合運び、相手の出方・疲れ・ダメージを読みながら闘う技術は、60年代よりも進歩した。実力を取り戻すのには時間がかかったが、ジョージ・フォアマンから世界ヘビー級タイトルを獲得してからは、7回目の防衛戦までは8勝のうち、6KOをマークしている。ところが、日本武道館でアントニオ猪木と戦い、引き分けて、その後アメリカで入院したあとの防衛戦では、1976年9.28日にケン・ノートンに判定勝ち、翌年5月16日にアルフレド・エバンヘリスタに拙戦の末判定勝ち、同年9月29日にアーニー・シェーバースに判定勝ちと、アントニオ猪木戦後は3回の防衛戦はいずれも判定勝ちでKO勝ち出来なかった。その翌年、1978年2月15日に、まだプロ8戦目だったレオン・スピンクスのラッシュの前に、意外な判定負けを喫した。もとより、たいした実力のなかったスピンクスには慢心も手伝ってか、判定勝ちで雪辱することが出来たが、79年に引退を発表した。しかし、その後、2度カムバック、しかし、ラリー・ホームズには11RTKO負け、81年にはトレバー・バービックに10R判定負けを喫した。ラスト2戦は、見るも無惨なほどアリは痛打された。 アントニオ猪木戦後は、4勝3敗でKO勝ちはなし!!これは、猪木のローキックによるダメージが深刻に影響したためにほかならない。ちなみに、猪木VSアリ戦は、猪木に著しく不利なルールだったものの、事前に勝敗、試合内容等の打ち合わせはなく、紛れも無い真剣勝負だった。試合は確かに凡戦に終わったが、アリが猪木のローキックを散々喰って試合直後にエレベーターで倒れて、その後アメリカで入院したのも紛れも無い事実である。アリは猪木戦後は、4勝3敗でKO勝ちはなしの平凡なボクサーになってしまった…。 さて、逆に猪木は、アリとの一戦で、多額の借金は背負ったものの、知名度は日米ともに大幅にアップし、異種格闘技路線もウィリー・ウィリアムス戦を始め、どんどん押し進めて人気を不動のものとしていった。K−1の発想は、もともとが空手家のメジャー進出で、この発想の原点を創ったのはアントニオ猪木と言えるだろう。モハメッド・アリの選手寿命を縮めてしまったのも、このアントニオ猪木である!
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月19日 03:19
オゥ!イイゴド教えでヤッが!!アリよ、猪木にまともじゃかなわねーカラよー、猪木からは何もできねぇルールにして拳にシリコン巻いて戦ったのよ!それでも猪木に全然かなわねーカラ引き分けで終わった後倒れだのヨ!アリなんて弱ェ!!
Posted by ブルーザー・ブロディ at 2008年05月24日 18:54
↑ルールの話やシリコンの話を知っているとは…やはり、なんだかんだ言ってもブロディさんは格闘技に精通していると思います。猪木VSアリ戦は、猪木側からは事実上何も出来ないルールでした。当時のアリの知名度は、世界的にも絶大なものがあり、それに比べると当時、猪木は世界的には無名、日本のプロレス界に於いてもジャイアント馬場よりも、まだ知名度は下だったと言ってもよかった。当然、アリと猪木では、知名度が格違いだった訳で、実際に新日本プロレスでこの猪木VSアリ戦を実現するのには60億以上かかったと言われているし、ルールについても猪木の方に著しく不利なルールにされた…。が、猪木は諦めずにルールの唯一と言ってもよい、寝転んだ状態からのローキックに活路を見出だした。試合は、『世紀の凡戦』などと酷評されたものの、事実上は猪木の勝利と言ってもよい!(実際は引き分け)。 また、モハメッド・アリのシリコンの話だが、これも噂では実際あった話ではあったが、私は残念ながら詳しくはわからない(゚ω゚?)ただ、噂があったのは確かです。この話は、逆にブロディさんの方が詳しいのではないでしょうか?! もう一つ、アリVSリストン戦の毒水については、毒水の中身は、リストンの傷口に塗った薬だったようで、4R終了間際にアリの目に入って、アリが「オレは目が見えない!」とセコンドに訴えて試合放棄しかかったのは事実のようです。アンジェロ・ダンディートレーナーは無理矢理5R目に出し、アリの目は薄紙を剥ぐように視界を回復し、試合は、空振り続きのリストンが肩を脱臼して6R終了後に試合を棄権しました。
Posted by 川尻浩作 at 2008年05月25日 19:07
( ̄ー+ ̄)フッ、川尻もアントニオ猪木の偉大さがわかっているようだな!どうやら少しは楽しめそうだ! 元気ですかー!!いくぞーッ!!1.2.3.ダーッ!!猪木!ボンバイエ!猪木!ボンバイエ!猪木!猪木!コレが本物!!アリなどほら吹きよ!!へ〜い!!川尻息クセェぞ〜( ̄ー+ ̄)フッ、おめえ、ケツの穴はあらってきたか?!てめえなんざオレの敵じゃねぇーっ!!フッフフ‥つくづくおろかな者どもよの〜ん〜ふふふ、ゾリゾリブチッ、1‥2‥3‥4‥5本‥‥あー聞こえんな!!
Posted by ブルーザー・ブロディ at 2008年05月25日 21:58
アリは公開スパーリングでの猪木のハイキックの威力に恐れをなして急に暴れ出して、その後アリ側は投げ技・関節技・スタンド状態でのキック等を禁止した理不尽なルールを要求し、これを猪木側が承諾しなければ試合を中止して帰国するとした。20億(トータルでは60億円を超えたとも言われている)もの大金をかけた猪木サイドはこれを了承して試合に望んだ。試合は猪木が寝転んでのローキックで攻撃し、アリがこれをかわして猪木を挑発するという展開が終始続いて結果は15R戦ってドロー(猪木はエルボーや立ち技等の減点3を取られた)という結果だったが、アリの足のふくらはぎやもものあたりは猪木のローキックで真っ赤に腫れて血栓症を起こして試合後入院した。まずはあの試合で猪木の放ったローキックは64発、アリの放ったパンチは僅かに5発、これでドローとは理不尽な判定だと思う。レフェリーも完全にアリにひいきしたレフェリングだった。試合内容はあのルールの元ではああいう試合をするしかないだろう。まああの試合を見た人ならば、猪木とアリのどちらが強いか解るだろうし、アリがこの試合のダメージでその後冴えない試合が多くなり、やがては伏兵レオン・スピンクスに敗れてしまった。アリの選手寿命がこの猪木戦で縮んでしまったのも明らかである。アントニオ猪木こそが日本歴代No.1の格闘家で、現在の総合格闘技の基を創った人物だと私は思いますね。
Posted by 川尻浩作 at 2009年02月11日 18:30
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/24500249

この記事へのトラックバック