2009年08月11日

高橋ナオト

高橋ナオト(アベジム)
ニックネーム:逆転の貴公子
東京都調布市出身
日本バンタム級、J・フェザー級チャンピオン
生年月日:昭和42.11.17
戦績:19勝14KO4敗


ボクサーは、世界チャンピオンにならなければスターにはなれないといわれる。
しかし、昭和末期から平成初期にかけ、世界王者でない1人のボクサーが、世界王者以上にファンを熱狂させていた。演劇
それが今回紹介する高橋ナオト。
スマートな風貌からは想像できない火の玉ファイトで伝説的な逆転劇を生み出し、「逆転の貴公子」と称された激闘王である。爆弾

高橋は、少年時代からボクシングに熱中し、昭和60年2月、府中農在学中に17歳でプロデビュー。
高校生ボクサーとして話題を集める。
反射神経が抜群に良く、負けん気も強かった高橋は、話題だけではなく実力も本物。
メキメキと頭角を現して連勝街道まっしぐらとなる。ダッシュ(走り出すさま)
昭和61年3月、片山清一を2回KOに下して全日本バンタム級新人王を獲得。
同年9月には、島袋忠司に8回判定勝利でA級トーナメント優勝と同MVPを獲得。
誰もが認めるホープとして、一気に脚光を浴びることとなる。
A級トーナメント制覇で日本ランク1位となった高橋は、昭和62年2月、指名挑戦者として、日本バンタム級王者の今里光男へ挑戦する。
実力者の今里を相手に苦戦も予想されたが、後楽園ホールは、試合前からニュースター誕生への期待が高まっていた。
ちなみに、若くて颯爽とした風貌の高橋にはマスコミの食いつきも良く、日本タイトルながら異例のテレビ生中継(管理人の地元岩手では放映なしでしたが・・・)と期待の高さを物語っていた。TV
ゴングが鳴ると、期待通りに高橋がシャープな動きを見せる。
ハイレベルなせめぎ合いの中、高橋のカウンターのタイミングが徐々に合い出し、5回に抜群の右カウンターがついにヒットで今里がダウン。
立ち上がった今里だが、鋭く詰めた高橋がそのままフィニッシュ。
あまりにも鮮やかな戴冠劇でデビュー以来の連勝は11に伸びる。
この試合は、この年の年間最高試合に選出された。
前途洋々の19歳の若者に、ファンは、当時低迷していたボクシング界の救世主としての役割を期待し、大きな夢を馳せたものだった。グッド(上向き矢印)
昭和62年6月、初防衛戦で前王者の今里を3回KOに下し、実力を再証明。
早期の世界戦を期待されたものの、2度目の防衛戦で思わぬつまづき。
昭和62年10月、有利の予想の中で小林智昭にまさかの10回判定負けで王座陥落。
再起を期し、昭和63年1月、かつてA級トーナメントで戦ったことのある島袋忠司と日本バンタム級王座決定戦を争うも、雪辱に燃える島袋の右ストレートが炸裂し、6回KO負け。
まだ体が成長途上で、減量に苦しんでいた高橋は、階級を上げて再出発することを決意。
減量苦が多少和らぎ、持ち味のシャープさを取り戻して進撃開始となる。
そして伝説として語り継がれるあの名勝負が生まれることとなるのである。ひらめき

平成元年1月、高橋は、ランキング1位の指名挑戦者として、日本J・フェザー級王者マーク・堀越に挑戦する。
WBA世界J・フェザー級6位のランクを持ち、世界挑戦目前と言われた強打者マークが予想ではやや有利と言われていたが、高橋も自信満々の面構えででリングへ上がる。
ゴングが鳴ると、マークが持ち前の強打をダイナミックに振り回して突進し、高橋も一歩も引かずカウンターで迎え撃つ展開。
3回にマークがラッシュを敢行すると高橋は失速。
このままマークのペースで進むかと思われたが、4回には高橋の渾身の右カウンターがまともにヒットし、マークがダウン。
さらにダウンを追加し、絶好のKOチャンスをつかんだものの、ここはマークが踏ん張ってこの回の終了ゴングが鳴る。
今度は高橋のペースになると誰もが思ったが、5回を持ちこたえられると、ダメージから回復したマークの逆襲が始まる。
パワーで打ち勝ち始めたマークに対し、高橋は徐々にスローダウン。
そして8回、堀越の丸太を振り回すような左フックがヒットし、高橋はダウン。
立ち上がったもののダメージはありありで、マークはここぞとばかりに詰めにかかる。
この回をゴングに救われた高橋だが、9回も容赦ないマークの攻勢にさらされ、もうストップかと思われた次の瞬間、高橋の起死回生の左フック、右ストレートが炸裂。
高橋の本能だけで出たようなパンチがまともに当たり、前がかりになっていたマークがストンとダウンする。
立ち上がって効いていないとファイティングポーズを取るマークだったが、これでふらふらだった高橋に力がみなぎった。右斜め上
強気に前に出てくるマークに対し、今度は完全に狙いすました必殺右カウンターが強烈にヒット。パンチ
もんどり打って倒れたマークは、それでも意地で立ち上がる。
必死にファイティングポーズを取るも、ふらつく足を確認したレフェリーはカウントアウト。
史上稀に見るシーソーゲームは、高橋に凱歌が上がった。
勝利を決めた直後、精も根も尽き果てたようにリングに倒れこんだ高橋の姿が印象的で、勝者、そして敗者をも称える後楽園ホールは興奮のるつぼと化していた。
この伝説的な試合を間近で見られたファンは、まさに伝説の生ける証人であろう。イベント
管理人も見たかった(笑)。
この試合は、世界戦を差し置き、文句なしの年間最高試合に選出される。手(チョキ)
高橋にとっては、初戴冠の今里戦以来2度目の年間最高試合となる。
世界戦以外で2度も年間最高試合の当事者となる選手は今後も出てこないだろう。

世紀の逆転劇で、「逆転の貴公子」の称号を得た人気者の高橋に、是非早期の世界戦をというファンの声はいやがおうにも高まる。るんるん
しかし、阿部会長は、こういう危ない橋を渡るような戦いを好まなかったようで、打たせずに打つボクシングを高橋に期待していたとのこと。
実力者相手に安定した勝利を得られるようになるまでは、容易に世界戦にゴーサインを出すつもりはなかったようだ。
平成元年5月、世界前哨戦とされたタイ王者のノリー・ジョッキージムとのノンタイトル戦は、マーク戦のように先にダウンを奪われた後の逆転の3回KO勝利。
マークとの激戦のダメージはやはり抜け切れていなかったのだろう。
ファンの人気はうなぎのぼりだったが、やはり阿部会長は世界戦へのゴーサインを出さず。
日本王座の防衛戦を1つクリアーした後、世界戦への最後のテストとして、会長はノリーとの再戦を高橋に課した。
平成3年2月11日、東京ドーム。
そう、あのタイソンVSダグラスの統一世界ヘビー級タイトルマッチの行われた日のセミファイナルで高橋の世界前哨戦は行われた。
5万5千人の観客が見守る中、高橋はノリーに6度のダウンを奪われ、10回大差判定の完敗。
数々の激闘は、高橋の肉体に想像以上の大きなダメージを蓄積させていた。
体調がすぐれないまま、再起を決意したものの、平成3年1月、朴鐘弼(韓)とのノンタイトル戦で9回KO負け。
試合後しばらくして、脳内出血が判明する。
本人はなおも現役に未練があったそうだが、稀代のカリスマボクサーは若くしてリングを去ることとなった。

世界王者でない日本人ボクサーで、高橋ナオトほど多くのボクシングファンに愛された者はなかなか見当たらないであろう。
“浪速のロッキー”赤井英和の人気も凄まじいものがあったが、どちらかというとアイドル系の人気者であった赤井に対し、高橋はコアなボクシングファンに熱狂的に支持された。音楽
引退後は、ボクシング漫画「はじめの一歩」の作者である森川ジョージ氏の協力を得て、JBスポーツクラブを設立。初代会長に就く。
森川氏は、「はじめの一歩」で高橋をモデルとするキャラクターを主人公のライバルとして登場させるほど、高橋のボクシングに心酔していたそうだ。
指導者としての高橋氏は、福島学を世界挑戦まで押し上げた実績が光る。
現在はフリーという話を聞いたが、是非今後もボクシング界のために尽力していただきたい人物である。ぴかぴか(新しい)

ちなみに、「はじめの一歩」に登場するキャラクターの中で、宮田一郎のモデルが高橋氏、鴨川源二会長のモデルが故阿部幸四郎会長とのこと。
「はじめの一歩」は、管理人も週間少年マガジンにて毎週愛読しています。わーい(嬉しい顔)

posted by ティト at 23:13| 岩手 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんなボクサーがいたことを初めて知りました 驚
というか年間最高試合て必ず世界戦から選ばれる物だと思っていました 苦笑
世界チャンピオンになっていたらどんなスーパースターになっていたか分かりませんね!
Posted by よう at 2009年08月14日 21:39
こんばんわ、ようさん。
ちょっとボクシングスタイルは違いますが、アメリカでのアルツロ・ガッティの人気に近い感じでした。
Posted by ティト at 2009年08月19日 23:38
確かに、人気は高かったボクサーで、期待度は畑中以上だったと思う。マーク堀越戦の“死闘”は有名なところで、最期のマーク堀越が足を大きくグラグラさせながらもレフェリーに続行をアピールする姿は強く印象に残っているが、その高橋直人の素質・素材を考えた場合は、この島袋、マーク、ノーリーと次々と強豪と戦わせ、揚句の果てに世界ランカーの強打を毎試合まともにもらって若くしてリタイアせざるを得なかった高橋直人のボクシング、ディフェンス、そしてなかなか世界王者に挑戦させずにひたすら強豪と戦わせたマッチメークは、ある意味典型的な失敗作と言えよう。ボクシングは他の多くのスポーツと違い、キャリアをどんどん積めばいいと言うものではないスポーツである!このような強豪続きではキャリアは積めど強烈なパンチを多く浴びて体を壊しかねない。特にマーク戦は二転三転した試合だったので、お互いぐらつきながらもレフェリーもストップしようがない激闘だった。結果、互いに壊れてしまったと言えよう。あとは高橋直人選手の実績を考慮するならば、何故に高橋直人を優先的に載せたかはちょっとよくわからないところです。私ならば、亀田昭雄、尾崎富士雄、穂積秀一、スパイダー根本、ジャッカル丸山、吉野弘幸、リック吉村、坂本博之…等を優先的に取り上げるね。まあ、赤井英和・村田英次郎なら納得するけど、高橋ナオトは、う〜む…小林智昭に負け、島袋忠やノーリーにも雪辱を許したという実力については、残念ながら世界王者クラスの実力があったとは言い難い。カウンターパンチを打つ勘とタイミングには秀でていたがね。だが何と言っても取り上げて欲しいのはアーロン・プライアーとホセ・ピピノ・“九重”・クエバスだな!全盛期の吉野弘幸とクエバスの左フックは凄いでぇー。プライアープライアーフフフ、わしゃーしつこいでぇー(笑)。プライアー亡くして我ボクシングを語れずだ!!
Posted by 川尻浩作 at 2009年08月25日 02:57
ついにきましたか高橋ナオト。私が彼の試合を見始めたのが、そのマーク堀越戦からです。
彼は日テレ系の選手だったので、実家のほうでは、放送されてなかったものです。マーク戦当時関東在住だったので運良く見れたんです。
 とりあえず彼の時代のボクシングまで位が、普通の素人がみて興奮できるものだったような気がします。(どっちかがちゃんと倒れるし、鼻血まみれになるし)あしたのジョーをリアルにやってたような感じでした。
 さて、不覚にも私は、ノリとの再戦をみていないのです。直前の打越戦で完璧な打たれないボクシングをやっていたのに、いったい何があったのか、さっぱりわからないのでありました。
 本当に本人が言うように相性の問題なのか、それとも何か体に異常があったのか...。
 彼の試合のビデオはやっぱり捨てられない、どころかDVDにして保存してます。VHS三倍で画質はあんまり良くないけど。(あと、国内レベルの選手では淺川誠二も)
Posted by コメントおろし at 2009年08月30日 21:23
こんばんわ、川尻浩作さん。
世界戦を1度も戦ったことのない高橋ナオト選手を名ボクサー名簿に載せることに異論を持つ方がもしかしたらいらっしゃるかもしれないとは思っていました。
しかし、渡辺二郎選手の王座陥落から辰吉丈一郎選手の台頭に至るまでの間において、高橋選手が日本のボクシング界の救世主的役割を担っていたことに異論を挟む向きはおそらく少ないものと思います。
選手生命は短かったものの、低迷する当時の日本ボクシング界の中で世界王者誕生を予感させる確かなきらめきを感じさせてくれた名選手です☆

こんばんわ、コメントおろしさん。
高橋選手は、ファンが見て面白い試合を見せようというプロ意識の強すぎる選手だったそうです。
打たせないボクシングを目指す阿部会長の意図とはちょっと違っていたようですが・・・。
ノリー選手との再戦では完膚なきまでの敗戦でしたね。
この試合の後に明らかな体調異常(ろれつが回らない、まっすぐ歩くことができない等)が見られたそうですが、もしかすると試合前から具合が悪かったのかもしれません。
高橋選手の試合のビデオを持っているとは羨ましいです♪
Posted by ティト at 2009年10月05日 01:30
ブログのぞきに来ました♪足跡がてらに残していきますね。
僕のブログちょっと気分がいされると思いますが、
書いてます♪またのぞきに来ますね。
Posted by 新川 at 2009年10月26日 16:10
川尻さん、亀田昭雄や尾崎富士雄の方を優先して取り上げるなんておかしいだろ。高橋ナオトには他の選手にはない“なにか”があった。


Posted by 野口 at 2012年02月21日 22:16
80年代後半プロ拳闘冬の時代を盛り上げてくれたのが高橋直人元選手だった。

社会はbubbleに沸いていたが選手にはsponsorがつかず大多数のアマ選手はプロの世界に進まなかった。ある意味当然であった。プロになった処で生活が成り立たずプロとは呼べない状況が続いていたからだった。僕自身複数のアマ選手に「プロになっても生活していけないから拳闘以外の技術を身につけたほうがいい」と諭したことがる。

そんな時代を救うかのように現れたのが都立農業高校の新鋭高橋選手だった。競争社会で生きていくために生まれてきたかのような鋭い眼光はデビュー当時から際立っており関藤選手との試合では観客が唖然とするほどのcounterを魅せてくれた。

ただ原田政彦さんの処にいた今里君と闘った頃から広背筋が大きくなりjunior feather或いはfeather級を主戦場にしたほうが実績を遺せたような気がする。
Posted by 銃刀法違反,公務執行妨害歴あり at 2015年11月15日 15:14
ファンは多いみたいだが、彼はロードワーク嫌いで有名だったからね。試合を見ると分かるよね。あ、今回は走ってないな。とか。
Posted by 天狗 at 2016年04月21日 10:06
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