2008年06月28日

浜田剛史

浜田剛史(帝拳ジム)
沖縄県中城村出身
WBC世界J・ウエルター級チャンピオン
ニックネーム:昭和最後のストイック・ボクサー
生年月日:昭和35.11.29
戦績:21勝19KO2敗1無効試合


多種多彩な趣味趣向が満ち溢れる現代社会において、長期間一つのことに打ち込んでいる若者はほとんどいないであろう。
そんな時代の中で、青少年時代をひたすらボクシングに専心し続け、自らの夢を自らの拳で掴み取ったのが浜田剛士である。手(グー)
野性的な風貌と相まって、その出で立ちはさしずめラスト・サムライという表現がピッタリ。左斜め上
日本ボクシング界の歴史の中でも一際異彩を放つストイック・ボクサーだ。

浜田は、兄の雄二さんの影響で幼少の頃からボクシングに興味を持ち、夢はもちろん世界王者。
ボクシング設備の充実する高校でボクシングに打ち込むため、実家からバスで2時間以上もかかる沖縄水産に進学する。
青春の全てをボクシングに捧げる覚悟で練習に打ち込む浜田は、メキメキと頭角を現し、3年時にはインターハイのフェザー級王者に輝くなど、破壊的な左強打者として名を知られる存在となる。ひらめき
プロ志向が非常に強かった浜田は、アマチュアからの誘いには耳を傾けず、名門帝拳ジムからプロの世界王者を目指すことを決意。
昭和54年5月に早々とデビューすると、期待通りの2連続KO勝利。
プロ3戦目で不運な4回判定負けを喫するも、寮では大場政夫が使っていた部屋を与えられるなど、ジム側の期待はすこぶる高いものであった。
4戦目からは再びKO街道を驀進。
浜田の豪打に対抗できる相手はおらず、世界への道も早々に見えてくる圧倒的な勢い。ダッシュ(走り出すさま)
しかし、昭和56年7月、デオ・ラバゴ(比)を9回TKOに下して8連続KOを決めた試合で、浜田は不運にも主武器の左拳を骨折。
勤勉な浜田は、練習をしっかり休むことができず、完治しないうちに4度も骨折を繰り返し、絶頂期に2年間のブランクを作ってしまう。
長期ブランクによるモチベーションの低下も心配されたが、浜田のボクシングへの情熱は一向に衰えず。
昭和58年8月にカムバックすると、以前と全く変わらない豪打でバッタバッタと相手をなぎ倒していく。パンチ
それまでの記録だったムサシ中野の12連続KOをあっさりと抜き去ると、昭和59年12月には、友成光に7回KO勝利で日本ライト級王座を獲得。
昭和60年4月にはダウトーン・チュワタナ(タイ)を2回KOで下し、連続KO記録は15まで伸びる。
手のつけられない強さを見せつける浜田であったが、オーバートレーニングがたたってまたも故障が発生。
今度は右ひざの半月板を損傷。
浜田の生命線である踏み込みが効かなくなり、昭和60年7月のジョンジョン・パクイン(比)戦では12回判定勝利。
東洋太平洋ライト級王座を奪ったものの、ベストとは程遠い内容であった。
右ひざの故障は完治することはなく、手術する時間的余裕もないことから、以降だましだましコンディションを整えてリングに上がることとなる。
一刻も早い世界挑戦を狙う浜田陣営は、ファイトマネー等で交渉が困難になるライト級を回避し、S・ライト級での世界奪取に標的を変更する。
待望の世界挑戦は昭和61年7月に実現。
相手はWBC世界J・ウエルター級王者レネ・アルレドンド(メキシコ)。
若くて長身の天才型パンチャー、アルレドンドは、東洋無敵の浜田をもってしても掛け値なしの強敵。
ひざに不安のある浜田は、ラウンドが長引けば長引くほど不利であることを自覚し、初回から総力をあげて打って出る決意を固める。
果たして試合開始のゴングが鳴ると、浜田は猛り狂ったように突進し、凄まじい連打でアルレドンドをロープに釘付けにする。ドコモポイント
強気なアルレドンドも応戦したものの、浜田の鬼気迫る勢いに押されてパンチをよけそこない、まともに左右連打を喰らって失神状態でダウン。
そのまま初回3分9秒にてKOとなり、浜田の賭けはものの見事に成功。
夢である世界王座を射止めた浜田の表情は放心状態。
持てる力を全て出し尽くした男の生き様がそこには凝縮されていた。位置情報
同年12月には、ロニー・シールズ(米)を12回判定に下して初防衛に成功。
華々しいKO劇となった王座奪取戦とは対照的に、ひざの痛みと戦いながら、苦闘の末に何とか2−1の判定をモノにした試合だった。
昭和62年7月、1年ぶりの再戦となったレネ・アルレドンドとの2度目の防衛戦で、激しい打撃戦を演じたものの、今度は6回TKOで敗れて王座陥落。
右ひざが万全であれば絶対に打ち負けない自信のあった浜田は、故障を完治させてからアルレドンドとの3度目の対決に臨みたい気持ちが強く、再起に向けてトレーニングを開始。くつ
しかし、長年のオーバートレーニングの影響で、結局故障は回復しないまま。
ベストコンディションでリングに上がれそうにないことを悟った浜田は、昭和63年に引退を表明することとなった。

オーバートレーニングで選手寿命を縮めてしまった感のある浜田ではあるが、修行僧のようにボクシングだけに打ち込む姿には鬼気迫るものがあったらしい。
例えば、視力維持のためにボクシング以外のテレビ番組なども一切見ない徹底ぶりで、便利さや効率を求める現代社会の常識から考えれば異質な存在であった。
おそらく江戸時代にタイムスリップしても生き抜いていけるであろう(笑)。
現在は、日本テレビやWOWOWのボクシング解説者として活躍中。TV
豪快なイメージのある浜田だが、テレビでの解説は非常に理論的で、ボクシングを知り尽くしている感じ。ペン
一般視聴者の評判もすこぶる高いとのこと。
ボクシングの隆盛に一役買っている功労者だろう。
今後の活躍にも大いに期待したい。音楽
posted by ティト at 23:32| 岩手 ☁| Comment(16) | TrackBack(1) | 日本人ボクサー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拳の骨折や右ヒザを痛めたりしなければもっと実績を残せただろうなぁー。右のパンチも左のパンチも強烈で、しかも連打出来た。クロード・ノエルは元世界王者で、友成光も世界王者のサムエル・セラノに挑戦した事もある元日本王者&世界ランカーで決して弱くはなかったが、さほど問題にせず、なんといっても、レネ・アルレドンドを僅か1RでKOした試合は鮮やかだったね。レネは失神し、「浜田のパンチが世界を制しました!」という実況も印象的でした。ただ、既に拳を4回も骨折した後だった浜田剛史は、鮮やかなKO勝ちにも、「それでも左は思いきり打てなかった。」と言い残し、既に右ヒザの故障も悪化していた。むしろ、期待したよりも、実績は残せなかった印象の強い選手だったなぁー、拳の骨折は強打者の宿命か…。海老原博幸、大橋秀行、吉野弘幸…拳の骨折に泣かされる強打者は多いなぁ。
Posted by 川尻浩作 at 2008年06月29日 00:09
初防衛戦のロニー・シールズ戦はちょっと(私の採点では)負けていたかな?!シールズの防御は鉄壁で動きも速かったからね。ただ、あまりにも守り重視のスタイルで、さっぱり攻めて来なかったけどね(笑)ただ、浜田のパンチはほとんど当たらず、攻勢点だけで勝利をものにした感があった。ヒザのケガの影響も大きかっただろうが、シールズの防御の素晴らしさと、防御偏重のスタイルだけが目だってしまった試合だった。その後、シューティングゲームで、ある地点まで逃げ回ってやられたらベストのスピードアップとミサイルの補強ができるという裏技のあるゲームがあったが、この裏技は“シールズ戦法”とか、“サパタ戦法”などと呼ばれた。関係ないか(笑)…?!
Posted by 川尻浩作 at 2008年06月29日 04:30
レネ・アルレドンドとの2度目の防衛戦は、アルレドンドがゴング開始と同時にいきなり右を振るって来た。一戦目に浜田がゴング開始と同時にいきなりグラブタッチした直後に左ストレートを振るったのとは全く逆の展開になった。実は、これがこの試合の最大のポイントだったと思う。先手を取られた浜田は、3Rまでペースがつかめず、ヒザの状態の悪さも手伝って懐に入れない。浜田は170cm位で、アルレドンドは181cmと、身長、リーチでかなり差があった上に、さらに悪化して来たヒザ…。浜田にはこの試合、相手の様子を見ている余裕はなかった。そこに先に手を出されて先手を取られてしまった…!4Rにようやく反撃に移った浜田は、5Rにはアルレドンドを捉らえてボディから顔面に強打を決める。しかし、浜田の目の上からはおびただしい出血が…。ヒザの悪さもあって、アルレドンドに決定的なダメージを与えることはできない。6R、逆にさらに出血が激しくなり、疲労困憊した浜田は、ついにロープ際でアルレドンドに捉らえられた。アルレドンドの左アッパーカットの連発…確か6連発位だったか…!?これで大きくぐらついた浜田、ここでレフェリーが割って入った。ヒザの悪化、完全には治らない拳…ボロボロの状態となった浜田は、この試合を最後に、本人が常日頃言っていたとおり、『太く短く』燃え尽きた。
Posted by 川尻浩作 at 2008年06月29日 05:13
ちょうど1年ぐらい前ですか?みちゃこが別れたのって。当時はですね、ニャ ンニ ャン写真が出回っただのカーSXしてただの、メチャクチャな話が飛び交ってたんですよ。
Posted by 安.田美沙子大慌て! 『聞いてや!アイツのPCから流..出してんて!!』 at 2008年06月29日 11:30
ニャンニャン、カーSEだって…いいね〜エロネタもどんどん行きましょうね。サイトが盛り上がる。(笑)
Posted by 川尻浩作 at 2008年06月29日 12:58
アルレドンド異様にでかかったですね 苦笑
今では浜田さんは解説者や帝拳代表のイメージが強いですが、現役時代は本当に強かったんですね。怪我がなければどんな凄い選手になっていたか…
でも浜田さんが世界を奪取した感動と衝撃はいつまでも色褪せることはないでしょう。
Posted by よう at 2008年06月29日 20:58
ようさんには、『PFPボクシング』で、ここ1ヶ月半位お世話になっております。まあ、浜田が世界王者になった頃のボクシング界の盛り上がりはまだあったし、浜田のノンタイトル戦も今の亀田同様に地上波(日本テレビ)で毎回放映されていたからね。正直、もっと期待されていたんだが…自らのパンチ力に拳が耐えられず、自らの動きに膝が悲鳴をあげたといったところでしょうか…。
Posted by 川尻浩作 at 2008年06月30日 03:46
川尻浩作さん こちらこそいつもお世話になってます。
浜田さんてノンタイトル放送されるくらい人気あったんですね〜
Posted by よう at 2008年07月02日 12:20
よく考えて見たら、毎回放映されていた訳ではなく、連続KO記録が話題になって来たクロード・ノエル戦あたりから放映されるようになったかな?!それとOPBFタイトルマッチもあったし、友成光戦(日本ライト級タイトルマッチ)はスポーツニュースだったかなぁー?!まあ、後の大橋秀行、辰吉、亀田兄弟に比べればノンタイトル戦のテレビ放映は少なかったでしょうね。ただし、この3人みたいに大口叩いたり、派手なパフォーマンスする訳では決してなかったので、実力と豪打者ぶりが話題になって人気が出て来たという点ではたいしたものだと思います。今よりも、スポーツニュースでもボクシングは取り上げられる時は多かったからね。今は、世界タイトルマッチですら取り上げない時がけっこうある。浜田氏の人気ですか?男性ファンからは人気はあったと思いますが、女性ファンからは、う〜ん……(笑)。毛深かったからなぁー(笑)。試合後のインタビューも今とたいして変わらなかったような…。世界チャンピオンになった直後のインタビューでも、その前に入手したアルレドンドが世界タイトル奪取した試合のビデオをアナウンサーと一緒に見ていたシーンでも、もう既に専門的に“解説”していたね。現役時代から解説口調(笑)。
Posted by 川尻浩作 at 2008年07月02日 23:59
こんばんわ、ようさん。
怪我するまで練習してしまうのが浜田さんらしさなんですよね・・・。
アルレドンドを倒した直後の放心状態の仁王立ちに管理人も身震いしたものです。

こんばんわ、川尻浩作さん。
現役時代の浜田さんは、実はインタビューの受け答えがユーモア十分で、風貌に似合わない面白いボクサーだなあと管理人は思っていましたよ(笑)。
Posted by ティト at 2008年07月06日 17:58
浜田剛史とか、渡嘉敷勝男、渡辺二郎…。80年代の名ボクサーを取り上げたら、スレの書き込みが活発化してきた(笑)。やはり、この人達の人気・実力・魅力は高かったとしか言いようがないですね。その人気・実力・カリスマは、当時の(人気なかった)サッカーを凌ぎ、プロレス(当時人気絶大!)、プロ野球の人気者に対抗していた。特に渡辺二郎の人気は高く、年間の日本10大ニュース〔スポーツニュースじゃなくてニュースだよ(笑)〕に堂々と“渡辺二郎の海外防衛成功”を投票した(馬鹿?)オヤジもいたほど(笑)。私は、今も昔も、日本史上最強のボクサーは?と聞かれたら、「渡辺二郎です。」と答えるだろう。(長谷川穂積もその領域に迫りつつあるかな?!)浜田剛史や渡嘉敷勝男選手も、実力・魅力・カリスマは凄かったと思います。人気??渡嘉敷は、今でいう亀田親子的な人気だったかな?!浜田の試合は男性ファンがごそっと(笑)。いずれにしても、今よりもボクシング自体の人気、注目度がずっと高かったなぁー。
Posted by 川尻浩作 at 2008年07月06日 19:19
久しぶりに覗いたら
スゴく高度なコメントにあふれてますね

レネVS浜田については
アルゲリョVS小林をダブらせた人も多かったのでは

総合的にはレネが上回ってるかも知れませんが

極論すれば

日本人の長所
メキシコ人の短所

が、モロに出たような気がしました
Posted by まさきち at 2008年07月13日 10:27
大柄で痩せている外国人世界王者VS小柄な日本人豪打者ですか…。でもアルゲリョの強さは格が違いましたね。ただ、アルゲリョVS小林戦は、私は(テレビ、ビデオ等で)見たことはありません。まさきちさんは、大ベテランのボクシングファンとみました。こういう人のコメントは説得力が違いますからね。
Posted by 川尻浩作 at 2008年07月16日 12:27
('仄')パイパイ
Posted by ('仄')パイパイ at 2009年05月18日 10:37
大場さんが頭蓋底骨折で夭折後,浜田さんの戴冠迄本当に長かったですね。
Posted by 前科者 at 2012年06月19日 20:05
中手骨骨折がなければおそらくjunior light,light,junior welter級と3階級制覇していたと未だに思う。余りにも膝に負荷の掛かる闘い方は最後まで変わらなかった。
Posted by 銃刀法違反,公務執行妨害歴あり at 2015年11月15日 16:10
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Weblog: こーじ苑
Tracked: 2008-07-24 23:00
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